第3回―導入部(2000−2010年)「目覚めた獅子の猛追」
「Napoleon Bonaparteの予言
200年程前に彼はこう書いた。“Let China sleep,”“for when she
wakes,she will shake the
world.”ナポレオンは中国を訪れたことは一度もなかったが、中国が未来の世界舞台で演じる役割に関する彼の考え方は、時代の試練を耐えぬいた」。
(OECD「The
World Economy:A Millennial Perspective」より)
2010年10月6日にIMFがリリースした「World Economic Outlook,October 2010」では、Napoleonの予言を裏付ける内容となった。
同報告書には中国が新世紀2000年の初頭から、先進国であるイタリアを皮切りに、2005年にフランス、2006年にイギリス、2007年にドイツ、そして2010年にはとうとう日本を次から次へと追い越す、まるで目覚めた獅子のような猛追ぶりをデータで克明に記録している。また同年4月にIMFが発表した2010年末に中国が名目GDP世界第2位になるとの予測も、当時世界の大きな関心を集めた。
一方、一国の経済的な実力を表すGDP PPP(平価購買力)ベースのデータでは、中国は10年前の2001年に既に世界におけるNo.2のMainPlayerに復帰済。2010年には、日本の2倍以上の10兆ドル強へと更に実力を上げており、Top Runnerであるアメリカの14.6兆ドルのバックナンバーが見える距離へと縮まった。
IMFは更に2011年1月のWEO Updateにおいて、2010年世界経済予測成長率5%のうち、中国の寄与度は全体の28%強と公表しており、これは先進30カ国の合計パーセンテージを上回る、正に世界経済成長を牽引する「責任大国」の裏付けデータともなった。
2010年まで中国が世界に及ぼした影響は、上記のGDPの順位上げや国際貢献度だけにとどまらなかった。国家資本が主導し、市場原理志向の混合経済体制をコンセプトとする国家モデル「Beijing Consensus(北京共識)」は、08年以降の世界金融危機の中でも、優位性が際立った。故にNeoliberal(新自由主義)を信奉する「Washington Consensus」の対抗馬として西側世界で脚光や熱議を浴びた。
一方、新興国を含む発展途上国では、「Beijing Consensus」と呼ばれる中国の国家モデルを自国に導入しようと検討する動きが出始めており、中国は途上国のカントリードリームの対象国ともなり始めた。
これは、アメリカにとって、戦後ブレトンウッズの一極通貨金融体制の脆弱さを露呈した時に発生したことでもあり、中国に形成されつつある新国家モデルのソフトパワーの台頭が「Washington Consensus」の存亡に関わる脅威と映るようになった。
しかし当の中国は、自国の国家モデルがまだ発展段階にあり、今後もより広範の国民が重要な国家政策の決定プロセスに参画できるように、「静かな」政治・行政改革を進めようとしている。開発独裁の国家資本主義を前提とした「北京共識」を最良のモデルとは必ずしも認識しているわけではないし、自国の「開発途上の国家モデル」を輸出しようとも考えていないのが実情である。
2010年11月にソウルで開催されたG20サミットでは、上記の米中両国の相違を超えた「The Seoul Development Consensus for Shared Growth」が誕生した。これは米中両国を含む国際社会から得られた新国家発展方式に関する第三の「Consensus」とも言える。(執筆者:成玉麟)
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