第2回―導入部(1500−2010年)「現在・近未来への暗示図」
2001年にOECDが「The World Economy: A Millennial Perspective」を発表した後、欧米社会では、過去500年間の世界文明の中心地は欧州かそれとも中国だったのか、「欧州文明中心論」そのものに対する疑念や議論を再燃した。
その火付け役は、オランダのUniversity of GroningenのAngus Maddison教授であった。上記報告書の執筆者で経済歴史学者であった氏は、数十年間に亘って過去500年間の世界主要国・経済体の経済データを比較研究した結果、中国については宋王朝の10世紀までは、1人当たりの国民所得は世界1位、国家GDPの面では1889年までの1000年以上世界No.1の国であったと発表した。氏はまた1500−2000年の世界GDPに占める主要国・経済体の推移を右図に示した。
このデータから、中国とインドの2ヶ国は1700年まで、常にそれぞれ世界の2割以上のGDPを占め、特に中国は1820年には、33%と世界の経済力の頂点を極める存在であったことが分かる。しかし、それ以降、新中国建国まで降下の一途を辿った。
OECDのデータによると、中国が世界GDP1位の座を当時の新興国アメリカに譲って2位に後退したのは、121年前の1889年のこと、即ち、第1次アヘン戦争開始の1840年から約50年後のことであった。
Angus教授は何故中国がGDPNo.1のLong Runができたのか、また何故後に自国よりGDPの小さい海洋国家に負け、衰退したかの原因についても以下の分析を加えた。
●Long
Runの四大要因
・他国より比較的統一国家の期間が長い
・「科挙」という当時世界最先端の国家公務員の統一選抜制度
・欧州を凌駕する羅針盤、活字印刷等の四大発明と技術イノベーション能力
・高度な農業灌漑技術と「租佃制」 という農地開墾奨励租税制度
●衰退した二大要因
・15世紀以降継続的な人口増加による1人当たりの国民所得減
・技術革新の面での勢い喪失
現代中国においては、「大陸国家」としての鎖国政策と、それに起因する経済の立ち遅れ、国家官僚の腐敗という諸要因が、結果としてアヘン戦争以降の列強の侵略を受け、欧米大陸を席巻した第一、第二次産業革命の波にも乗り損なったという反省があり、上記の成功と衰退の要因には現在でも歴史の既視感と類似性を強く感じる面がある。
一方、2010年の世界においては、世界GDP平価購買力のトップ10に中国、インド等のBRICsの全員がランクインしており、再び世界の中心舞台に戻ってきた。西から東への経済パワーシフトが、アメリカから端を発した2008年の世界金融危機以降加速している中、過去500年間の平均経済勢力構図が再現されつつある。
2020−2025年には、中国が再び世界GDP1位の座に躍進するのではないかと各国が注目しているが、当の中国国民は1人当たりのGDP1位の座に復帰するまではまだ長い道程があると冷静に考えている。Angus教授が残したのは「China:Back to the future」の未来への暗示図とも言える。(2010年4月24日にAngus教授は逝世)(執筆者:成玉麟)
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