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東日本大震災から1年、首相が交代しても収まらぬ政争
2012年 3月 13日10:31 / 提供:人民網日本語版

 東日本大震災から11日で1年を迎えた。過去1年間に菅直人「草の根総理」が去り、野田佳彦「ドジョウ総理」が就任するなど、政界でも「地震」のような巨大な変化が生じた。震災後の短期間、貴重な「休戦期」が出現したものの、過去1年間を振り返ると全体的に不安定で、与野党の争いが続いた。これによって「再生元年」における日本の復興の歩みが妨げられるのは必至と専門家は指摘する。中国新聞網が伝えた。

 震災復興、核危機、経済復興という三大課題を前に、野田首相は確かに地に足のついた「ドジョウ」スタイルを発揮し、一定の成果を上げている。昨年、被災者救済策を定めた後、野田首相は消費税率引き上げを含む「社会保障と税の一体改革」に着手した。地震の前から日本の国債は年々膨れ上がっていた。地震後は経済が一層深刻なダメージを受けた。野田首相の打ち出した消費税引き上げは財政再建のために避けては通れない道だと指摘される。

 中国人民大学国際関係学院東アジア研究センターの黄大慧主任は、増税法案が可決されるか否かが、野田政権と日本政治の行方にとって重要な転換点になると指摘する。

 だがこの法案に対する国民の支持は大きくない。小沢一郎元幹事長の率いる民主党最大派閥の小沢派も増税法案に明確に反対している。小沢氏の姿勢は強硬で、小沢氏に賛同する声が増えているうえ、参院で与党は半数以下であることから、野田政権の運営は行き詰まると見られる。

 最近日本メディアは野田首相が最大野党・自民党の谷垣禎一総裁と密会し、増税法案可決のためには衆院解散・総選挙も辞さない考えを示唆したと報じた。黄氏はこれについて「野田首相は確かに衆院解散を代償に野党と取引する可能性がある。だが解散となれば、野田首相に絶対的な勝算はないうえ、今年後半には民主党代表選挙もあり、前途にリスクを抱える。野田首相が難関を突破し、5年間に6人の首相という『短命の呪い』を打破できるかどうかは、まだ予測しがたい」と分析する。

 黄氏はまた「民主党内には長年『小沢支持』と『反小沢』の争いがあり、野田内閣は引き続き小沢派に足を引っ張られることになる。野田首相と野党の『妥協』の兆しもまだ公にされず、日本政界は依然水面下で激しく動いている。日本政府にとって最重要任務は依然、震災復興、核危機、経済問題だ」と指摘する。

 今年初めの施政方針演説で野田首相は2012年度を「再生元年」にするとの「復興ビジョン」を明らかにし、首相として国民に対する責任を担い、決断力ある政治を進めると表明した。だが外国メディアによると、長年日本を研究しているリチャード・サミュエルズ氏は日本視察後、この甚大な災害によっても日本は政治的、経済的麻痺状態から覚醒していないと指摘している。米マサチューセッツ工科大学国際研究センター主任で同大日本プロジェクトの創立者でもあるサミュエルズ氏は「国家の再生」という本を執筆するため、日本へ実地調査におもむいた。だが数カ月間の視察を経て、本のタイトルを「危機のレトリック」に変更することにした。「現在までのところ、変化に関する発言の方が本当の変化よりも多いようだ」とサミュエルズ氏は指摘する。

 過去12カ月間に日本は確かに変化したが、余りにも緩慢なうえ、注目されていないと指摘される。日本の元々膨大な政府債務はさらに膨れ上がり、経済に好転の兆しは見えない。議会は派閥が林立し、重要政策の決定は再三先送りされ、各種議題を前に議員たちは型通りの「合意」にいたるか政治取引を行うかのどちらかで、主要政党に問題解決の力はなく、国民の望む指導力の発揮は期待できない。

 地震と津波によって引き起こされた福島第1原発事故が、日本政府の致命的誤りであったことは間違いない。今回の核危機によって原子力に対する日本国民の認識は様変わりした。日本各界が続々と起こしている反原発デモは、放射能漏れに対するこの島国の恐れと不安だけでなく、政府の原子力政策に対する国民の疑問と不満を現わしている。

 低レベルの放射線は直ちに健康への影響はないと日本政府は再三宣伝しているが、核危機後の日本食品はすでに世界各国の食卓で「ブラック・リスト」入りしている。福島産のキュウリをほおばった菅直人氏、福島米を食べた野田佳彦氏と、身をもって農産物の安全性をアピールした首相2人だが、民衆の賛同は得られていない。

 今年2月末、日本の民間調査委員会が発表した福島第1原発事故に関する400ページにもおよぶ独立調査報告書は、災害発生時に首相官邸の対応は混乱し、役割分担が明確でなく、効果的な役割を発揮できなかったばかりか、逆に救援の妨げになったと指摘。菅直人首相が原発からの全員撤退を阻止した内情も暴露している。

 枝野幸男経済産業相は8日、原発事故対応時に政府内で情報伝達がスムーズにいかなかったことが、事故処理過程に影響を与えたことを認めた。9日に日本政府の公表した「原子力災害対策本部」の議事録は、地震発生当日の夜に開かれた福島第1原発事故に関する初会議で、原子炉の冷却機能が喪失してメルトダウン(炉心溶融)に至る可能性があることがすでに指摘されていたことを明らかにしている。政府が広範囲で住民を避難させなければならない最悪の状況を考慮しながらも、情報を十分に公開しなかったことを改めて裏付けるものだ。

 日本にとって原子力はかつて唯一の活路だった。だが今やこの「両刃の剣」は、国全体に痛みの中、深い再考を迫っている。その影響は遥か海を越えて欧州にまで及び、原子力大国ドイツも原発と決別するにいたった。

 だが日本が原発と完全に決別し、争いに明け暮れていた政界が一致団結し、具体的な政治・経済変革に着手する可能性は極めてわずかだ。政治の混乱からようやく抜け出したのは退陣した菅直人氏だけだ。彼は苦行僧のいでたちで巡礼の旅に出、一般の民衆と共に「再生元年」の中、1人寂しく歩んでいる。