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東日本大震災とこの1年の日本の巨大な変化(一)
2012年 3月 3日14:00 / 提供:人民網日本語版

 日本は現在急激な変化の中にある。古いモデルは消え去ろうとし、新たな態勢が形成されつつある。天災によって社会変化が起きるわけではないが、様々な社会矛盾が明るみに出ることは往々にしてある。昨年3月11日の東日本大震災によって、世界は様々な面で日本社会の巨大な変化を目の当たりにしている。(文:陳言・日本企業(中国)研究院執行院長)

 被災地を訪問してみて、これほど深刻な地震と津波の中で、日本の被災者がどう助け合っているのかを直に目にした。「他の地区の人に先に救援物資をあげてください。私のところはまだやっていけますから」。食料や水を届けに来た車を前に、自らは食料を受け取らず、もっと困っている人々の所へ行かせた人は1人ではない。実は彼ら自身もすでに長い間、少しの食べ物を数人で分け合っており、それもすぐに底をつきそうな状態だったのだ。

 だが東京などの大都市では、食料や水が不足していないにも関わらず、スーパーに行っても小さなミネラルウォーター1本以外、ほぼ何も買えない状態が数日続いた。被災地よりも不足していたのだ。だが実際には、大都市の住民の多くは自宅に数週間、あるいは数カ月間分の食糧を備蓄していた。

 原発事故後、福島県の瓦礫は放射能の有無に関わらず、処理施設が不足し始めた。一部の地方の人は福島県民を見ると、伝染病患者がそばに来たかのように接触を避けたがった。同じ日本人がこの時、あるべき思いやりを欠いていたのだ。

 被災地に足を踏み入れた人はみな、こうした社会の変化を身をもって感じた。だがより深いレベルの変化は、人々が容易には観察できない場所に存在する。東日本大震災から1年を迎えるにあたり、振り返ってみると、この変化の強烈さに気がつく。

■変わらぬ原発政策

 夕方の東京で、節電のため停止中のエレベーターを通り過ぎて、階段でプラットホームに入ると、今でも照明が北京よりずっと明るいことに気がつく。遠くの高層ビルのネオンは相変わらずまぶしく輝き、本当に節電中だとは思えない。

 東日本大震災から1年1カ月の時点で、日本の原発は13カ月ごとの定期検査のために全て停止する。原発所在地の住民と地方自治体が同意しないと、再稼働はできない。30%前後の電力を失うことは、すでに現実的問題だ。だが日常生活では、問題解決への緊迫感は何ら感じられない。

 原発がなければ日本社会はより良く、より安全になるかもしれない。街頭ではたまに数十人が全原発の停止、完全廃止のスローガンを叫んでいる。20年かけて少しずつ原発を減らすべきだと主張する人もいる。もちろん、より政府に立場の近い大手紙は原発知識の普及を繰り返し、原発は安全でクリーンで安定していると訴えており、まるで1年前に少なからぬ東京都民をパニックに陥らせた福島第1原発事故はなかったかのようだ。

 日本政府、経済界も内心では原発の継続的推進を望んでいる。イランや朝鮮の遅い歩みを見てみるといい。日本は原発開発の難しさを誰よりもよくわかっている。既存の原発を廃止すれば、電力問題は解決できたとしても、核技術でのリードは保証できない。国の安全保障と比べれば、福島の問題は軽いのだ。電力需要に関わらず、国の安全保障の観点から、日本は何が何でも原発を維持するだろう。

 東日本大震災によって確かに補いがたい損失を受けたが、それでも原発は維持していく。このような激変の中にある日本にとって、唯一の変わらぬ国策がこれだ。民間シンクタンクによる福島第1原発事故の調査は、このような国策の前では無力に映る。