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鳩山由紀夫氏が、首相を辞めた三つの理由
2010年 6月 18日15:08 / 提供:
中日問題を語る徐静波氏(右)

 鳩山氏はなぜ首相を辞めたのか。その中には三つの理由がある。 

 一つ目は、鳩山氏は自分自身の政治資金が問題になったからである。 

 鳩山氏は名門の政治家一家に生まれて、祖父は首相に、父親も外務大臣をしたことがあった。また母方の祖父は、世界的な有名なタイヤメーカーのブリヂストンの創始者である。 

 政治に参加して以来、企業政治献金を断るという原則をいつも守ってきた。では鳩山氏の政治活動資金はどこから来たのか。首相になって、やっと明らかになった。母親が毎月、1000万円以上(約70万元以上)を渡していたのだ。10年以上で、10億円を贈与していたが、すべて「政治資金報告書」に記載されていなかった。鳩山氏の母親は、ブリヂストンの創始者である父親から多くの株と遺産を相続したため、大金持である。しかし、金を使って息子の「革命事業」を支えたため、日本の政治資金規正法に違反してしまったのだ。結局、息子を首相の座を支えると同時に、息子に時限爆弾を埋め込んでしまったのである。 

 この爆弾は、ついに鳩山氏が首相になって2カ月後に、爆発した。鳩山氏は最後まで「知らない」と言い、そして6億円の贈与税を改めて支払ったため、司法の追及を見事にくぐり抜けたが、今回の件をメディアと国民に追求されるという政治的な不名誉の点で、多くの鳩山支持者と民主党メンバーを失望させた。鳩山の内閣支持率は、わずかの8カ月で、74%から17%まで暴落したのである。 

 二つ目は、沖縄の普天間基地の移設問題のうまく処理できなかったとこである。 

 沖縄島には、在日米軍の基地の70%が集まっている。多くの騒音と米軍兵士たちの強姦や盗みなどの行為で、沖縄県民の普天間基地を移設の声はますます高まっている。鳩山氏は、首相になる前に、絶対に普天間基地を沖縄から県外に移設させると約束したが、首相になった後、この問題で三つの難問に出合った。

 一つ目はアメリカ軍が、沖縄に留まることに固執している。そうしなければ、日米軍事同盟の関係に変化が起きる。

 二つ目は、沖縄周辺地域が普天間基地を自分たちのところに移設することに大反対した。

 三つ目は民主党と協力した社民党が、鳩山氏が約束を守らなければならず、もしできなければ、連立政権から離脱するとしたことである。 

 鳩山氏は、自らアメリカを訪問してアメリカの諒解を求めたようとしたが、オバマ大統領は、その希望を叶えなかった。公式会談も行わなかった。同時に普天間基地は、沖縄島内に移設するよう求めた。このようなどうしようもない状況の中で、鳩山氏はアメリカ案を受け入れるしかなく、普天間基地を沖縄県内に移設することにした。この決断によって、社民党は連立政権離脱を決め、民主党内でも鳩山辞職を求める声が起こった。沖縄県民も鳩山氏を裏切り者と呼んだ。鳩山内閣の支持率はそのせいで暴落したのである。 

 正直に話せば、普天間基地移設問題は、誰でも完璧に解決できるわけではない。しかし、この事はあいにく鳩山氏の責任になってしまい、運が悪かったのである。 三つ目は、鳩山氏に政治的な強い指導力が足りない点である。 

 鳩山氏は小さい時から、ずっと可愛がられ、何の苦労も経験しなかった。国会議員になるための選挙区の票田も父親から継承したため、国会にすんなりと入ることができた。こうなると、鳩山氏は、問題を考えたり、対策を決める時、理想主義的な部分に偏って、現実主義の部分は逆に足りなくなる。例えば、「東アジア共同体」を提起したものの、中国や周辺各国と相談することもなく、自分だけで考えて提起したものだ。結局、「ユートピア」になってしまった。 

 一方、鳩山は学者の出身であり、アメリカ留学から帰ってから、大学で教授を38歳まで務めた。つまり、鳩山氏の半分は学者だ。だからこそ、自身は学究臭さが濃厚で、政治家らしさはほとんどない。当然、これは鳩山氏のいい一面である。性格は純粋で、分かりやすいように見えるが、食うか食われるかの日本政治では、鳩山氏は鰐になれず、逆に山羊になったのである。 鳩山氏はついに完全に追い詰められる前に、自ら下りると明言した。 

 辞職で最も辛いのは鳩山氏自身ではなく妻かもしれない。鳩山幸さんは、首相公邸を飾るために、全精力を費やした。バスルームのカーテンまでも手作りだという。思いもよらず、わずか8カ月で、引っ越すことになった。なんと痛ましいことか。

(作文:徐静波 翻訳:陳浩 写真:華育国際)

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