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日本人戦犯の須子達也と西尾克己:国民に正しい歴史を教育しないと 日本は亡国になるだろう
2014年 9月 3日15:18 / 提供:新華網日本語

 【新華社瀋陽9月3日】中国人民抗日戦争勝利69周年記念日の到来の際に、遼寧省社会科学企画基金弁公室は新中国が改造した日本人戦犯8人の史料を収集 整理した研究成果を発表し、新華社が8月31日から日本人戦犯8人の口述実録を発表する。

 2013年7月、遼寧省社会科学企画基金弁公室は嘗て研究者を組織して日本に赴いて、この8名の日本戦犯と対面してインタビューしたことがある。これらの戦犯8人は自分が当時中国で犯した罪や、教育改造を受けた状況を語り、中日友好を守るとの願いを表した。

 須子達也、1921年生まれ、かつて日本軍第39師団第232連隊第1大隊第4中隊上等兵を務めていた。1945年8月ソ連軍へ武器を引き渡して降伏。1950年7月中国へ引き渡され撫順戦犯管理所に監禁となり、1956年6月第一陣として寛大に免罪された。

 以下は当時の須子達也の口述:

 住民はすべて逃げ去り、一人もいなくなった。もしもまだ誰かいれば恐らく殺されるか、或いはスパイだと疑われ、拷問されるからだろう。よって住民は私たちを見るとすぐに逃げ去り、山の上まで行ってしまい、誰一人残っていなかった。残されたのは家畜だけで、私たちはこれらの家畜を屠殺して食べた。

 (日本は)どうあろうとも中国と戦争をしてはいけない、本当だ。隣国として、私たちは互いに助け合うべきだ。私は、中国人が日本を攻撃し、日本を植民地とすることは絶対にないとみなしている。そのため私はとても嬉しい。今の中国は私一人でも安心して行くことができる。これこそは私が今まで見てきた中国なんだ!

 (注:文で述べられた状況が発生した際、須子達也の所在する部隊は湖南省常徳に10日間ほど駐留していた)

 西尾克己、1919年生まれ、かつて日本軍第91師団第73旅団独立歩兵第293大隊第2中隊伍長を務めていた。1945年8月にソ連軍の捕虜とされ、1950年7月中国へ引き渡され撫順戦犯管理所に監禁となり、1956年7月第二陣として寛大に免罪されて帰国した。

 以下は西尾克己の当時の口述:

 私はもう一度重ねて述べよう。『日本人は中国で何をしたか』という本、そして『日本は朝鮮に何をしたの』という本について、私は、日本が国民に正しい歴史教育をしないと、亡国になるだろうと思う。

 (注:『日本人は中国で何をしたか』『日本は朝鮮に何をしたの』の二冊の日本語の本は日本が中国を侵略し、朝鮮を侵略した罪について述べている)。



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