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『全台図説』、釣魚島は昔から中国の領土であることを実証
2012年 10月 13日9:47 / 提供:新華網日本語

 台湾の台南市にある通り「成功路」に「大観音亭興済宮」という名前の観音菩薩を祀る廟がある。記者が訪れたその日、興済宮では「秋祭り」が行われていた。100年間中断されていたこの秋祭りは、中華文化の古い伝統を改めて現していた。また政府関係者から一般人の信者の参加をひきつけていた。  

 「大観音亭興済宮」は現存する台南府城の「祭典廟宇」の一つだ。その敷地内の大観音寺には「以祈甘雨」の横額があり、これは清朝の高官・周懋gが同治11年(1872年)に寄贈したもので、「兼護提学道 周懋g敬書」と落款の署名がされている。  

 興済宮には、対聯[たいれん](対句を書いた掛け物)があり、そこには、「秉筆陋元臣医薬神霊宋史漏收方伎伝 熙朝修祀典馨香朔望清?合祭観音亭」と書いてある。これは光緒8年(1882年)周懋gによって書かれたものだ。  

 なぜ大観音亭興済宮は周懋gと切り離せない関係があったのか?台南成功大学人文社会科学センターの陳益源副主任によると、周懋gはすなわち安徽省績渓出身で、同治年間に彼は台湾を訪れて軍務を助け、のちに台湾知府に昇任した。最も提起する価値があるのは彼が『全台図説』を著したことだ。  

 「曽祖父の周懋gが挿絵付きで著した『全台図説』は、釣魚台(すなわち釣魚島)が昔から中国の領土であったことを実証しています。」10月6日の午後、北京から訪れた定年退職したエンジニアで82歳になる周啓厘さんは大観音亭興済宮の正殿に立ち記者に感慨深く述べた。  

 周啓厘さんは、数時間前、台湾地区の指導者の馬英九は彼とその娘と電話で話までして、同時に電話で周懋gの『全台図説』の中の釣魚島に関する記述「山の後ろの大洋に釣魚台という名の島嶼あり、巨船十余艘が停泊できる」を朗読した、と述べた。

 マスメディアの報道によると、9月14日台湾地区の指導者の馬英九は、彼が最近釣魚島の史料を収集している中で、台湾地府を勤めた周懋gによって描かれた『全台図説』を見つけた、と述べた。馬英九は『全台図説』を引用して、釣魚台の領有権は疑いの余地がないと重ねて表明した。  

 財団法人大観音亭興済宮の唐瑞明董事長の紹介によると、大観音亭興済宮の祭りはもともと毎年春と秋の2回行われていたが、甲午戦争(日本は日清戦争と称す)で清政権が敗北し、台湾が日本に割譲された後、大観音亭興済宮の春・秋の祭りもこのために100年以上中断されていた。しかし、2011年大観音亭興済宮がこの古い伝統を復活させた。  

 今年の秋祭りには大観音亭興済宮がわざわざ北京に在住する周懋gの子孫が招かれ、この古い式典に参加した。10月5日には「周懋gと祀典興済宮の学術シンポジウム」が開催され、シンポジウムでは両岸の学者が共同で周懋gの生涯、台湾での事績、著述や蔵書を探究し、また興済宮廟の文化資産の保存と修復について討論し、古い中華の伝統が延々と続くように心から願った。

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