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仙台を中心に宮城県が不死鳥のように復活(9)
2012年 8月 21日15:03 / 提供:
魯迅が通った東北大学のキャンパス内

 2011年3月11日に起こった東日本大震災で福島県だけでなく、宮城県の仙台も甚大な津波被害を受けた。1年後の仙台はどうなっているのか?8月上旬、上海メディア代表団の一員として仙台を中心に宮城県のあちこちに足を運んでいた。       

仙台市と魯迅の絆を末長く大切に 

 東日本大震災で深い痛手を負った仙台市。震災1年後の今日、仙台東北大学(旧仙台医専)を訪ねた。

 中国の文豪・魯迅(1881-1936年)が留学生活を送った場所であることから、中国人も仙台市には特別な思い入れがあり、今は中国人観光客の来訪が相次いでいる。「階段教室」も中国人にとって観光地となった。また、近くの東北大学資料館に「魯迅記念展示室」も設置されているし、仙台城三の丸の仙台市博物館敷地内に「魯迅の碑」と「魯迅胸像」がある。魯迅に因んだ中日友好団体もいくつかあるほど魯迅が親しまれている。

 中国人の多くは国語の教科書に収録されている魯迅の文学作品「藤野先生」を通して仙台を知る。当時の仙台は人口10万人の中級都市。森林の都とも呼ばれ、当時の市内には木々の生い茂った武士の邸宅があり、その一部はいまも保存されている。魯迅が通った東北大学のキャンパス内に魯迅記念館がある。1間20平米の木造建てで、内装は教室風の造り。壁には魯迅の成績表が掛けられている。大学が数年おきに修繕しており、学生たちも記念館に敬意を払っているという。

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旧仙台医専時代の魯迅  

 魯迅の仙台留学100周年に当たる2004年、仙台市は記念行事を盛大に行い、留学時に魯迅が記した医学メモを展示した。また東北大は中国人留学生を対象とした「魯迅記念奨励賞」を設け、学業成績と生活態度がともに優れた学生4人を毎年表彰している。このほか、中日間の文化・教育交流に寄与した中国人に贈る「魯迅賞」も設けた。

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 魯迅は1904年秋から1906年春にかけて、仙台医学専門学校で医学を学んだ。当時は日露戦争の頃で、魯迅は戦争に関するスライドの中で、体格のいい中国人が自分の同胞が殺されているにもかかわらず、全く表情がないのを見た。そして精神的な無感覚は肉体の衰弱よりも恐ろしいことだと感じ、それをきっかけに文学の道を歩み始めることになる。それ以降、魯迅はペンを武器として、無感覚な民衆を呼び覚まし、民族の魂を救って、「精神世界の戦士」になった。

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階段教室

 仙台医専時代の魯迅を描いた作品に太宰治の『惜別』がある。この「惜別」ということばは、仙台医専時代に、魯迅に個別添削を授けるなど何かと気を配っていた恩師、藤野厳九郎が最後に魯迅に渡した写真の裏に書いたことば。その藤野との関係は、小説『藤野先生』に、「わたしがわたしの師であると思い決めている人の中で、彼はもっともわたしを感激させ、わたしを励ましてくれた一人なのである」や、「わたしの講義ノートは、始めから終わりまですっかり朱筆で添削してあったばかりか、たくさんの抜けている部分が書き足してあり、文法の誤りまでいちいち訂正してあったのだ」と描かれている。 

 しかしこの行為が日本人学生の疑惑を招くことになる。ある日、学生会幹事がノートをみたいと魯迅の下宿にやってきた。中国人がいい点をとったのは藤野先生が試験問題を漏洩したためではないかと疑ったのだ。疑いは晴れたが、魯迅の心は痛む。「中国は弱国である。それゆえ中国人は当然低能児である、点数が60点以上あるのはその人の人の能力ではない。彼らがそう疑ったのも無理はない」と歯をくいしばるのである。  

 さらに追いつめるような「事件」が起きる。階段教室で魯迅は日露戦争中に中国人のロシアのスパイが処刑される幻灯を見せられた。歓呼の声をあげる同級生、画面のなかでの処刑をみる中国人群衆の笑い顔が胸をえぐった。「もはや言うべき言葉がない」と書き留める。そして「およそ具弱な国民である限り体格がいくら立派でも、頑健でもせいぜい見せしめの材料と見物人になるだけだ。彼らの精神を改造することである。それに役立つには医学でなくて、文芸を挙げるべきだ」と思うようになった。  

 医学を断念、仙台を去る魯迅に、藤野先生は自分の写真を手渡した。裏には毛筆で『惜別 藤野」と書かれていた。その写真はその後、魯迅の家に掲げられた。

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魯迅が通った東北大学のキャンパス内  

 仙台取材をいよいよ終える上海メディア代表団に対し、宮城県土木部空港臨空地域課長の石澤秀春氏が、「仙台市と魯迅の絆を末長く大切にし、仙台市は魯迅先生の故郷である紹興市との親善関係を増進し、より多くの中国人の仙台観光を心から歓迎いたします」とメッセージを送った。   

 終わり                 

(章坤良 写真も)

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