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仙台を中心に宮城県が不死鳥のように復活(2)
2012年 8月 13日8:57 / 提供:
ショーを披露する武士ら

 2011年3月11日に起こった東日本大震災で福島県だけでなく、宮城県の仙台も甚大な津波被害を受けた。1年後の仙台はどうなっているのか?8月上旬、上海メディア代表団の一員として仙台を中心に宮城県のあちこちに足を運んでいた。

賑わう仙台七夕祭

 東北を代表する夏祭りの1つ、「仙台七夕まつり」が6日から始まり、商店街には約2キロに渡って色とりどりの吹流しが飾られ、訪れた人々を楽しませている。市内の小学生たちが書いたメッセージを乗せた風船をリリースするイベントや、仙台にゆかりのあるアーティストの方によるライブイベントなど盛りだくさんの内容で開催いており、今年は「願い・希望・感謝」をテーマに東日本大震災の救援に対する感謝の思いや、被災地の復興への願いがこめられた。

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仙台七夕祭

 仙台市中心部のアーケード街には、午前9時すぎから、およそ3000本の色鮮やかな吹き流しや、和紙が貼り付けられた竹飾りが通りいっぱいに並べられた。仙台市内の小中学生が作ったおよそ5万羽のカラフルな折り鶴がつり下げられた竹飾りの前では、通りすぎる人が立ち止まり記念撮影をしていた。「仙台七夕まつり」は8日まで開かれ、期間中、およそ200万人の人出が見込まれている。

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仙台七夕祭

 仙台七夕まつりは例年7月7日の月遅れである8月7日を中日として、8月6日から8日の3日間にわたって行われる。大規模な飾り付けがされるのは一番町や中央通りなどのアーケード街、仙台駅周辺だ。仙台市周辺の自治体各地の商店街などでも同時に大小さまざまな七夕飾りがなされるため、市境を越えて広がりを持つ。また、国内各地の七夕まつりに影響を与えてきたこともあって首都圏などの企業や駅や空港の七夕飾りを作成する業者も存在しており、その豪華な飾り付けが各地に移出され続けている。

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仙台七夕祭

 江戸時代初期、仙台藩祖の伊達政宗が婦女に対する文化向上の目的で七夕を奨励したため当地で盛んな年中行事の1つになったともされるが、年中行事としての七夕は江戸時代中期頃から全国各地で行われている。1783年(天明3年)には、天明の大飢饉発生による荒廃した世俗の世直しを目的に藩内で盛大に行われた。1873年(明治6年)の新暦採用を境にして年々七夕の風習は廃れ始め、第一次世界大戦後の不景気以降はそれに拍車がかかった。

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仙台七夕祭 

 1927年(昭和2年)、この状況を憂えた商店街の有志らによって大規模に七夕飾りが飾られた。すると、大勢の見物客で商店街は賑わった。翌1928年(昭和3年)には旧暦開催を新暦日付の月遅れに開催することとし、東北産業博覧会と関連して「飾りつけコンクール」も行われ以降、華麗な飾りつけが発達するようになった。このようにして、「七夕」という庶民の風習は「七夕祭り」という昼間の商店街で行われるイベントへ転換した。 

(章坤良 写真も)

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