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養生
2015年1月 29日15:01 乛 提供:

  『素問·四気調神大論』には、「夏の3カ月になると、繁茂にして穂を出すといわれ、天と地の気が交わり、万物は花が咲いて実を結ぶ」とある。夏の3カ月は立夏から立秋の前までのことを指し、これには立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑の6つの節気が含まれる。立夏、小満は旧暦の4月前後にあたり、孟夏(夏の初め)と称し、天気がだんだん温かくなり、植物が生い茂り、この季節は心臓の動きに役立ち、人間は節気と交わる時はそれに順応すべきである。そのため、夏季全体の養生の中で心臓を特に大事にすることを重視しなければならない。『医学源流論』には「心は全身の主であり、臓腑などは全て心の命ずるところに従い、ゆえに君主である。心は神を隠し、ゆえに神明の用である」とある。漢方医学の文献の中の心についての説明は血肉の心と神明の心である。血肉の心はつまり実質的な心臓のことを指す。神明の心は外部の物事を受け入れ、それを反映し、意識、思惟、情·志などの活動を行う機能を指す。『医学入門』には「血肉の心は形が未開の蓮の花のごとしで、肺の下、肝臓の上にある。神明の心は……万事、万物を支配し、仮想的で精神的なものである」とある。

 心の生理的機能は血と脈をつかさどり、神と志をつかさどる。心は血、脈をつかさどるのは血をつかさどり、脈をつかさどる2つの側面を含むものである。血は血液のことを指し、脈は血管のことを指し、経脈とも言われ、血のめぐる通路である。心臓は血管と相連なり、密閉したシステムを形成し、血液循環のセンターとなっている。心臓はひっきりなしに脈打って、血液が全身の血管の中で循環することを促し、止まらないように流れ、血液循環の原動力となっている。血液の運ぶ栄養物質は全身に供され、五臓六腑、手足、筋肉、皮膚、毛および全身に栄養を得させることができ、それによってその正常な生理的機能を維持するのである。心臓の機能が正常であれば脈拍の状態が和らいで力強く、リズムもむらなく、顔色は赤くてつやがあり、もし心臓に病理の変化が生ずるならば、血の流れが滞り、血管が空虚になり顔に血色がなくなるのを目にし、脈拍は弱くて力がなく、気、血が滞って、血管は妨げられて唇が青紫色になり、むしゃくしゃして心室が刺されるように痛み、脈拍の状態は強、弱あるいは速い、遅いの違いが見えてくる。

 神と志をつかさどるのは、つまり心は神明をつかさどり、心臓の神とも言われる。いわゆる神は、漢方医学はそれに対して広義と狭義の違いがある。広義の神は、人の体全体の生命活動の外在的な表われを指し、それは人の体のイメージ、顔色、目つき、言葉、応答、身体活動の姿などを含むものである。狭義の神は、つまり心のつかさどる神と志であり、多くの場合人の精神、意識、思惟活動などを指す。神の形成は内臓状態学の中で、精、気は人体を構成し、体の生命活動を維持する物質的基礎であり、神をつくる物質的基礎でもあると見ている。神は先天的な精、気から化するものであり、胚胎が形成するその時に、生命の神は生んだ。人体の生長発育の中で、神は後天の水、穀物の精、気の補充と養生に依存し、正に『霊枢·平人絶古』の中で書かれているように、「神という者は、水、穀物の精、気である」。心は神と志をつかさどるのは生理の機能を得て次の2つの側面を含むものである。1、正常な状況の下で、神明の心は客観的な外部の物事を受け入れ、それを反映し、精神、意識、思惟活動を行う。2、神明の心は人体の生命活動を支配する者であり、臓腑の中で最も重要な位置を占め、五臓六腑は全部心の一元的指揮の下にあり、統一して調整する正常な活動を行うものである。

 心の生理的特性の表われは次のとおり。その1として、心は陽の臓であって陽の気をつかさどる。つまり心は陽の中の太陽であり、心の陽気は血液の循環を促し、人の生命の活動を維持し、生命力を止めることがない。そのため、人の体の「日」であるとたとえられている。『医学実在易』は、「人と天地の結合だからであり、天に日があり、人も日があり、君、父の陽は、日である」と称している。心臓の陽、熱の気は、みずからの生理的機能を維持するばかりでなく、そして全身を温かく養う作用がある。「心は火の臓であり、万物を明るく照らす」。ゆえに凡そ脾臓、胃の腐熟、運動、変化は、陽の温暖と上昇および全身の水·液体の代謝、汗の調節などを知り、いずれも心の陽の重要な作用と分けることはできない。その2は、心と夏の気は通じ合っている、ということ。つまり人と自然界は統一したトータルなものであり、自然界の四季·陰陽の消長·変化は、人体の五臓の機能と互いに関連し合い、互いに通じ合うものである。心は夏の気に通じ、心の陽が夏季においては最も盛んであり、機能が最も強いことを物語っている。