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《おばけのQ太郎》のキャラクター「小池さん」のモデル·鈴木伸一氏が世代を継ぐ中日友好に期待

2019年 7月 31日14:41 提供:東方網 編集者:曹俊

アニメ師匠の養成

 オフィスに入ると鈴木氏の経歴が壁に貼ってあった。1933年生まれの同氏は今年86歳。高齢だが元気満々だ。経歴を見ると、8歳から両親と一緒に中国東北で5年間生活。その時、横山隆一の漫画『フクちゃん』と出会ったのがきっかけで、後に横山氏に師事する。そこから漫画が好きになって、「ディズニーの『白雪姫』に熱中して、40回以上を見ました」、と述べた。

 写真説明:『フクちゃん』を紹介する鈴木氏

 日本が第二次世界大戦で敗けた後、氏は両親と一緒に日本に戻った。そして16歳の時、『漫画少年』に自分の作品を投稿する。22歳の時、漫画家の中村伊助を頼って上京した。その後、トキワ荘で寺田ヒロオ、安孫子素雄(藤子不二雄A)と会って、「新漫画党」へ入会、トキワ荘に引越した。鈴木氏は「私はトキワ荘に入居した4人目の漫画家なんです」と嬉しそうに語った。


写真説明:トキワ荘時代の古い写真


写真説明:トキワ荘で一緒に暮した漫画家

  トキワ荘に暮して9ヶ月したころ、横山隆一氏のおとぎプロに入社し、アニメーターとして歩み始めた。しかし、会社では童話アニメの制作が多く、氏はSFなどのアニメが作りたかったのでおとぎプロを退職する。

 30歳のとき、藤本弘(藤子·F·不二雄)、安孫子素雄、石ノ森章太郎、つのだじろうなどと「スタジオゼロ」を創立し、1代目、2代目の社長を務めた。同年、手塚治虫から『鉄腕アトム』第34話ミドロが沼の巻を受注したものの、「漫画家がそれぞれ自分の風格で創作してしまったため、アトムがさまざまな様子になってしまい、手塚先生のお気に召さなかったんです」と笑った。その後、スタジオでは『けもの太郎』、『佐武と市捕物控』などの作品を制作したが、経営問題のため1970年4月に解散。鈴木氏は縮小した人員で引き継ぐ事にした。

 その後は監督としてアニメを制作する一方、東京芸術大学の特別講師を務めて、編集した教材を中国語に翻訳したりした。