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小討論会「日本語との出会い」、言葉は文化と感情を繋ぐ

2017年 5月 28日17:39 提供:中国国際放送局

ラウンドテーブルの様子

日本語を学ぶ高校生たちに「日本語学習の先輩」たちが自身の経験を語るラウンドテーブルが27日、北京で開かれました。「日本語との出会い」と題したこの小討論会は、同日行われた第8回全国高校生日本語スピーチコンテストの関連行事として、在中国日本大使館の主催によって実施されました。20代から50代までのパネラー4人が登壇し、スピーチコンテストに参加するため中国全土から集まった高校生代表と関係者の計120人が出席しました。

パネラーとなったのは、日本語月刊誌『人民中国』の王衆一編集長、進行役を兼ねた当放送局の王小燕アナ、日本留学から帰国後、日系企業で働く若手の張穎さんと王燦さん。中国でいう「60後」(1960年代生まれ)から「90後」(1990年代生まれ)までの世代を網羅しています。4人が日本語を学び始めた学習のきっかけも、国の改革開放のニーズ(60後、70後)から日本のドラマやマンガ、アニメの中国への伝来、身近に触れる日本製家電の影響(80後、90後)など世代間で異なり、中国社会の変化を表したものとなっています。

日本や日本語との付き合いについて、「80後」の張穎さんは「仕事上、翻訳をすることが多いが、単語一つで意味が逆転する場合もあり、言葉という道具の重責を痛感している日々だ」と話しました。対して、「90後」の王燦さんは「留学を経験して、親に頼らずに何事も自力でこなせる人間になれたことが嬉しい。また、敬語の使い方は人間関係の機微に気付かせてくれた」と、自らの成長を嬉しそうに語っていました。

国交正常化の翌年に生まれた「70後」の王小燕アナは「中国はその発展の歩みと共に、世界に対して自らを説明するニーズが高まっている。日本語学習者として、両国の相互理解と友好増進に向け、自身が貢献する自覚をもつ必要もある」と呼びかけました。

4人の中で、日本語と最も長く付き合っている王衆一編集長の日本語学習歴は、1977年に遡ることができます。王編集長は席上、自らが手掛けた日本語から中国語への翻訳の例として「サラリーマン川柳」を取り上げ、「17文字に込められた喜怒哀楽をできるだけ、原文の持ち味を損なわずに翻訳できるよう頭をひねった。文化には違いがあるものの、人間の感情は通じ合うことができる。こうした地道な努力こそ、国民感情を深める上での良いルートではないだろうか」と話しました。その上で、「今後も日本語学習をライフワークとしてとらえ、尽きることのない言葉の醍醐味を味わい続けたい」と語学学習の極意を熱く語りました。

熱心に話を聞く候東郡さん(上海甘泉外国語学校)

ラウンドテーブルは約40分にわたって実施され、高校生たちの熱い拍手の中で閉幕しました。熱心にステージを見つめていた上海甘泉外国語学校の候東郡さんは、「中国の文化を日本語で日本人に伝える難しさについての話にとても共感した。また、日本語学習について諦めない気持ちを持って、やり遂げることの大切さを学んだ。諦めないで一つの事に集中して、一層日本語と日本文化に対する理解を深めたい」と語ってくれました。

なお、ラウンドテーブルに先立ち、NHK元アナウンサー・森吉弘さんによる特別講演も行われました。

ラウンドテーブルの詳しい内容は近日、WeChatアカウント「CRI日语频道」でも取り上げる予定です。

(Yan、梅田謙)