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浅草の「富士山」(一)

2016年 8月 29日17:18 提供:東方ネット 編集者:兪静斐

  作者:銭 暁波

 七月末の週、静岡県にある大学に呼ばれ、特別講義を行うために赴いた。

 大学は富士山の麓にあるというので、久しぶりに間近に富士山をみることができるとわくわくしながら飛行機に乗り込んだ。上海から約二時間あまりの空の旅を経て、ほぼ十数年ぶりに静岡に降り立った。しかしながら、梅雨明けの静岡は依然として雲があつく、五日間ほど滞在したが、終始雲に包まれていた富士山は一度も顔を出さずに、とうとう日本のシンボルを拝むことができず、ちょっとがっかりした気分で帰途についた。

 はじめてこの目で富士山を見たのは、九十年代初頭日本に行った頃、東京港区にあるバイト先のビルでだった。先輩に連れられて、この方角では天気がいい時に、富士山が見えるんだよと教えてもらった。以来、毎朝早くそこへ行ってこの目で確認しようとしたが、なかなか見ることできなかった。富士山というのはめったにお顔をみせないものだと思った。ある日、不意に窓の外をのぞいたら、ずっと遠いところに、微かに小さな三角形がそこに高く盛り上がっていて、何度も目をこすってようやく確認できた。「富士山だ!」小生はなぜか言葉が出ず、心臓の鼓動を抑えながら心の中でそう叫んだ。遠目で小さくなっているが、周囲を圧するほどの重々しさは富士山の荘厳さを物語っていた。後になってわかったが、そのときに見た富士山はまさに北斎の「富嶽三十六景」に描かれたものの大きさであった。

 それから、機会を得て静岡を訪れた。バスに乗って富士山の麓を通り、ごく間近で富士山の全貌を仰ぐことができた。どこまでも延々と伸びていく山の裾野に摩訶不思議を感じずにいられなく、圧倒されそうな気分になった。乗っているバスは山の怪力に引っ張られ、走っても走っても富士山の引力から抜け出ることができないような気がした。小生は窓の外に映るその幻想的な風景をじっと眺め、地球から何万光年も離れた異界の天体にいるような心地になりながら、言葉ではあらわせない富士山の神々しさをしっかりと瞼に焼き付けた。その途轍もない雄大な景色から受けた衝撃はいまも鮮明に脳裏に残っている。

 さらに、飛行機から見下ろした富士山もまた格別であった。航路によって毎回見ることができるというわけではないが、偶然にその絶景を目の当たりにしたときの感動は鳥肌ものであった。富士山頂は雲上の世界といわれるだけあって、空中から見下ろしてもやはりあつい雲に包まれている。太陽の光が無限の大空に射し込み、金色に染められた雲の間から抜け出ている富士の頂、円形の火口はまるでお釈迦様の蓮花の座のようにみえる。それを見るとなんとなく敬虔な気分になり、飛行機の窓に顔をつけて、瞬きもせず一生懸命見守った。

 みなさんもご存知のように、富士山は日本の象徴とされ、日本人の心の拠り所である。霊山や神山とも呼ばれ、ほかにも異称や雅称が多く存在している。とにかく日本人は富士山が大好きで、統計によると、日本各地で富士と名付けられている山々はなんと300以上にものぼるという。

 さて、明治20年ころ、東京浅草あたりにも大きな富士山があらわれた。そのことはみなさんはご存知だろうか。

 では、浅草の富士山は一体どんな山なのか。それについて次回、取り上げていきたい。