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中国侵略日本軍はなぜ南京安全区を強制的に閉鎖したのか?

2017年 12月 9日19:09 提供:新華網日本語

今年は全面的な抗日戦争勃発80周年であり、南京大虐殺で30万人の同胞が殺害されてから80周年を迎えることでもある。新華網は南京師範大学南京大虐殺研究センター主任、南京師範大学教授、博士課程指導教授の張連紅氏を訪ねた。

  日本人はなぜ南京安全区を認めなかったのか?

1937年11月17日、南京に在留する西洋人が南京に安全区を設置し、南京を離れらなれない難民を収容し治療するよう提案し、この提案は米国やドイツなど一部の大使館・領事館の外交職員に認められ、彼らは次々と様々なルートで当時上海に侵攻していた日本当局と連絡をとったが、日本は同意しなかった。その主な理由は二つあり、一つ目は、南京が設置する安全区の中に中国の軍事施設がないことを保証することができず、中国軍が日本軍に抵抗する軍事施設として利用される可能性があり、このような状況の下で彼らは安全区の設置が適当ではないと考えたため、二つ目は、南京安全区の国際委員会が戦争期間中に、大量の軍隊が安全区内に進入するのを阻止する力がないと考えたためだ。

  日本人はなぜ南京安全区を閉鎖したのか?

1938年2月以降、日本軍は南京国際安全区委員会に数回にわたり安全区の閉鎖を求めた。これには主な理由が3つある。一つ目は、安全区と多くの西洋人が、日本軍による南京占領後すべての軍事行動を妨害したため。重要な二つ目の理由は、日本軍の南京大虐殺期間中、安全区で暴行を加えた時、これらの西洋人は第一現場で日本軍の暴行を阻止しており、同時にこれらの西洋人は安全区内で彼らが見たすべての日本軍の暴行を調査し、抗議の文書を書いたり、日本の大使館・領事館に抗議に行ったりしていたので、これらの活動に対して日本の軍事当局は非常に不愉快に感じており、このほか南京に在留する西洋人が、様々なルートで日本軍の暴行を手紙や日記で海外に伝え、これも彼らを不愉快にさせていた。三つ目は、西洋人は中国の一般市民を保護し治療し続け、中国人は西洋人にさらに頼るようになっていたが、日本が当時中国に侵攻していたのは、英米勢力をアジアから追い出すためであった。だから、彼らは安全区が日本の南京占領後の統治に不利となると考えていた。彼らは中国人が西洋人に頼る思想がないように望んでいたため、安全区を閉鎖し難民をすべて家に帰すことが統治に有利になると考えた。

  日本軍は南京でどのように「慰安婦」制度を推し進めていったのか?

われわれは最近、西洋人の手紙、日記、文献資料を収集、整理、出版した。これらの資料から、当時南京に在留していた西洋人が、日本軍が慰安婦制度の確立を推進していることに気が付いていたことを見てとることができ、日本軍が中国人女性を強制的に連行して慰安婦にさせ、慰安所を設置したいくつかの関連資料を収集した。これらの文献資料の中から、当時日本軍が南京を占領した後、慰安所を設立して慰安婦を連行した方法が大まかに3つのタイプに分けられることが分かる。一つ目のタイプは、集団で女性を捕まえる場合と分散して捕まえる場合で、彼らは路上で若い女性を見つけると、兵舎に臨時に作った慰安所へ彼女たちを無理やり連れていった。二つ目のタイプは、洗濯係を徴集するなどと言って、騙して連行する方法だ。西洋人の記録の中には、日本兵が洗濯係の女性を徴集する場合、必ず若い女性でなければならず、安全区が提供した年上の女性は拒否されていたことが記されている。三つ目のタイプは、女性が比較的多い難民所の中に漢奸(日本に協力した売国奴)を宣伝に行かせ、数人の女性、特に若い女性を慰安所に応召させるというタイプだ。

西洋人の文献の中で比較集中しているのが、慰安婦制度に対する強い批判で、西洋人の目には、軍隊の中で慰安婦制度を推し進めていたことが人類文明の恥だと見えていたことが分かる。

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