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「戦国七雄」の民謡は今?(前編)

2018年 11月 16日14:23 提供:中国国際放送局

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中国の歴史において戦国時代は、多くの人々が憧れを抱く偉大な時代です。この時期には軍事、政治、科学技術などはいずれも黄金時代に入り、文化と芸術も「百花斉放百家争鳴(様々な花を開花させ、様々な思想を戦わせよう)」と言う繁栄の時期を迎えました。こうした歴史の背景の下、「戦国七雄」と呼ばれる七つの国の地方民謡も様々な特色を見せました。数千年に渡る歳月の洗礼を経て、この戦国七雄の民謡は今、どうなっているのでしょうか?今回の中国メロディーは、「戦国七雄」の歴史と民謡をお伝えしましょう。

戦国七雄

今から2000年前の春秋戦国時代は多くの思想家や政治家、名士が活躍した偉大な時代です。この時期に儒家の孔子も道家の老子、兵家の孫子など、様々な思想家が続々と登場しました。また、偉大な愛国詩人・屈原や秦王を暗殺しようと企てた刺客・荊軻なども数多くの熱いストーリーを展開し、豪華絢爛な歴史絵巻が繰り広げられました。

紀元前5世紀、長年にわたる春秋時代の覇権争いを経て、中国は7つの国家に統合されました。つまり「戦国七雄」と呼ばれる斉、楚、燕、韓、趙、魏、秦という7カ国です。

王者の気迫溢れる斉の民謡

「戦国七雄」の覇者・斉は今の山東省の大部分を支配し、東は渤海に隣接し、広々とした平原地帯は資源豊かな土地です。当時の斉は経済、軍事、文化などの面でも七国のトップに輝きます。

また、東の強国として、西の強国・秦と天下の覇権を争いました。その後、秦に滅ぼされ、中国を統一する覇者には成れませんでしたが、地元の民謡は今でも王者の気迫を見せ、その楽観的で豪放な風格を持つ独特な魅力に溢れています。例えば「沂蒙山小調(沂蒙山の小唄)」という唄は、その生活の息吹溢れる歌から堅い意志が感じられます。

詩人屈原の故郷・楚の民謡

楚は春秋・戦国時代の有力国で、長江中流を支配し、戦国時代には七雄の一つに数えられました。楚は現在の湖北省、湖南省を中心とした広い地域を領土とし、春秋時代の五覇の一つとして知られています。戦国時代に宰相・呉起によって改革を実施し、再び強国へと舞い戻りました。当時、「滅秦必楚(秦を滅ぼす国は、きっと楚である)」という一説が広く流行したことがあり、このことから楚は秦の最大のライバルであることがわかります。しかし結局、秦王の政は将軍・王翦とともに60万人の部隊を派遣して、楚を滅ぼしました。楚が秦に占領された後、楚の名詩人・屈原は国を思いながら川に身を投げて自殺しました。

屈原が戦国時代の楚で謡われた詩を集めた詩集「楚辞」は、地元の民謡の発展に大きな影響を及ぼしました。楚の民謡はユーモアや率直さで知られ、一人がリードし、みなが合唱すると言う民謡の形式が今でも広く伝えられています。例えば、「竜船調」はそんな楚の民謡の代表曲です。

喜びと悲しみの燕の民謡

戦国七雄の一国、燕は今の華北地方を指し、漢民族の最も西北にある辺境の国として栄えました。燕の都・薊は現在の北京でした。中国には「燕趙之地自古多慷慨悲歌之士(燕と趙の大地には、古来より大義のために犠牲になる義士が多い)」という諺があります。有名な歴史物語「始皇帝暗殺(荊軻刺秦王)」の主人公で史上最も有名な刺客・荊軻は燕の勇士です。燕は数千年にわたる発展を経て、すでに中華文明の重要な舞台となっていました。そんな燕は平和の時代には政治、経済の中心地として繁栄していましたが、戦争が始まると戦いの中心地として至るところに戦争の傷跡が見られました。

こうした背景の下、燕の民謡は悲しみと喜びという二つの極端な特徴を見せます。例えば、地元の有名な民謡「小白菜」は悲しい民謡の代表曲で、「放風筝」などは楽しい民謡の代表曲として知られています。

1曲目沂蒙山小調(沂蒙山の小唄)

この歌は戦国七雄の斉(今の山東省)の代表的な民謡です。

歌詞:

みな沂蒙山はいいところだと言う

沂蒙山は景色が素晴らしいところ

青い山と緑の川がなんと美しいのだろう

風が吹き 稲の香りが漂う

2曲目竜船調

この歌は戦国七雄の楚(今の湖北省と湖南省)の代表的な民謡です。

歌詞:

旧正月は新年だ

私は年始の挨拶回りをしたいが

誰が船を漕いで川の対岸に送ってくれる?

私が送ってあげよう

3曲目放風筝(凧上げ)

この歌は戦国七雄の燕(今の河北省)の代表的な民謡で、若い女性達が麗らかな春の日に凧を揚げて嬉しそうにしている場面を描きました。