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まもなく「元宵節」 この日にだんごを食べるのはなぜ?

2018年 3月 2日9:10 提供:新華網日本語

旧暦正月15日は春節後の最初の重要な祝日「元宵節」(今年は3月2日)だ。なぜ旧暦正月15日が「元宵節」と呼ばれるのか。なぜこの日に「元宵」(もち米の粉で作られた餡入り団子)を食べるのか。

天文学教育の専門家で天津市天文学会の趙之珩理事によると、元宵節の起源は漢代で、文帝の時代に「呂氏の乱」の平定を祝ったのが始まりとされる。紀元前180年、大臣の周勃と陳平は呂氏一族の勢力を一掃し、劉恒を文帝として擁立した。文帝が即位したのが旧暦1月15日で、記念すべき日として大赦が行われ、人々と共に喜びを分かち合った。その後毎年この日の夜になると、皇帝は宮廷を出て、めでたい飾り付けの中、人々と共に楽しんで、祝いの気持ちを示した。当時の人々は正月を「元月」、夜を「宵」と呼んでいたことから「元宵節」と呼ばれるようになった。 その後、漢の武帝が太初元年(紀元前104年)に家臣に命じて作らせた「太初暦」(太初元年の改暦によって採用された太陰太陽暦の暦法)にも、元宵節は重要な祝日として定められている。

「星月当空万燭焼、人間天上両元宵」(星と月が空に浮かび無数の蝋燭が灯る、人の世も天上も元宵を祝う)。元宵節の夜、街には提灯や色とりどりの旗などが飾られ、人々は飾り灯篭(とうろう)を鑑賞し、提灯に書かれた謎かけを楽しむ。大みそかから続く祝いのムードは再び最高潮を迎え、先祖代々受け継がれる風習となった。

元宵節に「元宵」を食べるのはなぜか。趙理事によると、歴史書の記載をみる限り、この風習は五代十国時代にまでさかのぼることができる。この種のおやつは当時、「面繭」もしくは「円不落角」と呼ばれていた。もち米の粉で皮を作り、甘い餡を中に入れたもので、現在の元宵と似ている。その後、元宵節に食べるおやつであることからそのまま「元宵」と呼ばれるようになった。

元宵節に食べるこのおやつを、中国北部では「元宵」、南部では「湯円」と呼ぶ。専門家によると、元宵にせよ湯円にせよ、団らんを指す「団円」と発音が近く、一家が仲良く集まることも意味している。十五夜の満月の夜も、一家が揃い、仲良く楽しく過ごすことを象徴している。人々はこの風習に、離れて暮らす家族への思いを託し、未来の生活への願いを寄せるのだ。(記者/周潤健)

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