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文化

歳を取らない日本テレビドラマの帝王 木村拓哉

2015年12月28日 11:30
 提供:新華網日本語

  

  木村拓哉は日本の国民的なアイドルで、15年連続で「最も人気のある男性」の第1位を獲得している。彼は「日本のテレビドラマの帝王」で、25年近く主演作品が平均視聴率の上位5位に名を連ねる。彼は「広告の帝王」で、「日本広告白書」で長年「CMキング」の称号を持つ。まさに前代未聞の人物。彼こそ歳を取らないイケメン、木村拓哉だ。

  

  ドラマ「あすなろ白書」

  1993年

  1993年に放送された「あすなろ白書」で木村拓哉は主人公の取手治を演じた。自然な演技で観客の心を掴み、恋する男女の姿は視聴者が最も喜ぶ役柄となった。この作品により、彼は「TVガイド」と「TVライフ」で最優秀男優賞を獲得。ドラマで木村が掛けていた大きな黒縁メガネは、日本中で大流行した。

  

  1995年

  1995年、世界5大広告会社の1つである電通は、「キムタク現象」によって1520億円の経済効果が生まれたとの調査結果を発表。彼の名前は「美男子」の代名詞となり、彼の愛称「キムタク」は誰もが知る言葉となった。翌年には辞典にも載った。

  木村拓哉の広告も大人気となった。ポスターが貼り出されると、すぐに盗まれてしまった。交換費用がかさむことから企業がポスターを見張る警備員を雇うという、一大怪現象になった。

  

  ドラマ「ロングバケーション」

  1996年

  1996年の春、「ロングバケーション」で木村拓哉は、ピアノを弾く音楽大学の卒業生、瀬名秀俊を演じた。このドラマで日本のドラマはピークを迎え、木村拓哉は「日本のドラマの帝王」と呼ばれるようになった。このドラマの放送時は「月9は外に出ない」または「OLは外に出ない」という現象が生まれた。多くの男性がピアノ教室に行ってピアノを習ったり、瀬名が住んでいたマンション(瀬名マンション)が観光地になったりした。

  同年12月12日、写真集「木村拓哉」が出版された。日本男性の写真集として唯一、爆発的に売れた。芸術的にも各方面で賞賛され、アジアの多くの地域でも話題となった。

  

  木村拓哉と妻の工藤静香

  2000年

  2000年に放送された「ビューティフルライフ」は最高視聴率が41.3%。これにより4回目のドラマアカデミー賞主演男優賞を獲得した。

  この都市の暮れ、木村拓哉はSMAPのライブで、2歳上の女性歌手である工藤静香と結婚することを発表した。NHKは「国民のアイドル、キムタクが結婚」と報道。テレビ局は15分かけて木村の結婚記者会見を発表した。その報道を当時のメディアは「天皇の崩御なみ」と形容した。

  

  ドラマ「HERO」

  2001年

  2001年、木村拓哉は大きなプレッシャーの中で「HERO」に出演した。このドラマの宣伝活動は、彼の結婚で取り消しになっていた。しかし初回から視聴率は33.4%と極めて高く、最終的には日本のドラマで唯一、全ての回で30%以上の視聴率を維持した作品となった。日本ドラマ史に輝く記録である。このドラマで木村拓哉は5回目の日本ドラマアカデミー賞主演男優賞を受賞した。ドラマで木村が検察官を演じたことから、法律を学ぶ学生の間で人気のなかった検察官が弁護士に換わって人気となった。

  

  ドラマ「Pride」

  2004年

  2004年、木村拓哉は「Pride」でハルという名のアイスホッケー選手を演じた。そのため、日本で人気のなかったアイスホッケーが大きく普及することになった。アイスホッケーの試合参観者は3倍に増加し、多くの親が子供にアイスホッケーを習わせるようになった。

  5月、木村はフランスのカンヌ映画祭に参加した。取材でカンヌの印象を聞かれた木村は「熱海みたい」と答えたところ、日本で熱海ブームとなり、熱海経済を潤わせることになった。熱海市長はメディアを通じて木村に感謝の意を述べた。

  同年、木村は宮崎駿のアニメ映画「ハウルの動く城」の男性主人公の声を演じ、評論家や観衆の絶賛を受けた。宮崎駿は「木村はまさにハウルだ」と述べ、その声の演技を高く評価した。

  

  ドラマ「華麗なる一族」

  2007年

  2007年、木村拓哉はドラマ「華麗なる一族」での際立った演技により、韓国のソウルテレビ賞において、32カ国130名の男性俳優の中から「俳優の帝王」の座を得た。また7回目の日本ドラマアカデミー賞も獲得した。

  「華麗なる一族」の舞台は観光スポットになった。木村が着ていたフランスのイヴ サンローランの服は、高価なのにもかかわらず売り切れになった。ドラマの関連グッズである「華麗なるパン」は1000万個以上も売り上げ、業界の記録を塗り替えた。

  「日経エンタテインメント」による年末の日本芸能界番付では、木村のテレビ広告における各成績を「言葉に表現できない」とし、2007年度の最もホットな人物の1位となった。

  

  政治ドラマ「Change」

  2008年

  2008年、木村拓哉が主演した「Change」では、日本史上最年少の首相になる朝倉啓太を演じた。日本のドラマ史において政治ドラマの平均視聴率10%である。しかし同ドラマでは21.7%という視聴率を獲得。政治ドラマでは最も良い成績となった。木村は8度目の日本ドラマアカデミー賞主演男優賞を受賞した。

  最後の回で、朝倉総理を演じる木村は、22.5分間の長台詞の芝居を演じている。しかも1つのカメラによるロングショットで、カンペもNGもなく、一気呵成に演じきった。日本のドラマ史上に残る演技である。

  日本の官房長官の町村信孝氏はかつて記者会見でこのドラマを評して「木村拓哉に勝てる日本の政治家はいない」と述べた。

  

  映画「宇宙戦艦ヤマト」

  2010年

  2010年、木村拓哉は映画「宇宙戦艦ヤマト」で主演を演じた。この映画は最終的に41億円を売り上げた。日本映画としてはこの年第4位の成績である。「朝日新聞」の映画ベスト10の中にランクインした。

  日本テレビ開局57周年記念のオリコン「テレビ功労者」で、木村拓哉は「最も貢献した俳優」に選ばれた。

  

  ドラマ「南極大陸」

  2011年

  2011年、木村拓哉はTBS開局60周年記念ドラマ「南極大陸」で主演となった。本ドラマは日本の最初となる南極調査隊の真実の物語を基にしている。戦後の時代背景と題材は、東日本大震災を経験したばかりの日本人にとってはやや重いテーマだった。しかし多くの視聴者は、初回を見て感動に涙した。同様のテーマは通常10%前後だが、「南極大陸」は初回に22.2%と高く、最終的な平均視聴率は18%という好成績となった。

  日本のテレビが、この年7月にデジタルに変更することを記念し、フジテレビが「テレビ史上、テレビを最も輝かせた100人」を調査したところ、木村が俳優で1位となった。

  

  ドラマ「Priceless」

  2012年

  2012年、木村拓哉はドラマ「Priceless」で主演を演じ、9回目の日本ドラマアカデミー賞主演男優賞を受賞。自身の持つ最多受賞数を更新した。

  同年木村は、東日本大震災発生1周年を記念した日本史上最高額となる震災振興宝くじのイメージキャラクターとなった。宝くじは1か月で1102億円を売り、予想を67%上回った。史上最高の販売額である。災害地域への支援額は88億円から150億円にまで上がった。

  中国の「華鼎賞」が行った「2011年アジアの芸能人イメージ満足度調査」において、木村拓哉が日本地区で1位になった。

  

  ドラマ「安堂ロイド」

  2013年

  2013年、木村拓哉がドラマ「安堂ロイド」で主演を演じ、第79回日本ドラマアカデミー賞主演男優賞を受賞した。

  ドラマで木村は一人二役を演じた。東京大学の天才物理学教授と、100年後からやって来たアンドロイドである。

  

  ドラマ「HERO 2」

  2014年

  2014年、木村拓哉は犯罪を題材にしたドラマ「HERO 2」に出演、再度検察官を演じた。このドラマで第82回日本ドラマアカデミー賞主演男優賞を受賞。10度目の受賞となった。

  

  ドラマ「I’m home」

  2015年

  2015年、木村拓哉はテレビ朝日のドラマ「I’m home」に出演、父親役に挑戦した。初めて本当の年齢に近い人物を演じた。

  (チャイナネット)