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中日友好の絆を次世代へ、残留孤児報恩訪中団

2017年 6月 26日12:04 提供:中国国際放送局

帰郷と報恩の旅で22日から中国入りした、日本の中国残留孤児代表団がハルビンでの訪問を終え、25日に北京に到着しました。この日の午後、北京大学国際関係学院では、学生や教職員を交えた交流会が開かれました。

今回の訪中団は、日本に帰国した中国残留孤児の会「NPO法人中国帰国者・日中友好の会」が国交正常化45周年を記念するため、企画したものです。日本各地14の地域から中国残留孤児とその二世および関係者102人が参加しています。

交流会ではまず座談会が開かれ、「日中友好の会」理事長の池田澄代氏はその席上、「戦争は私たちに多くの苦難をもたらした。日本は敗戦後、軍人や官僚から先に引き揚げ、4000人余りの幼い子どもが残され、中国人の養父母に育てられた。その後、日本に帰ることはできたが、中国の大地をいつまでも懐かしく思っている。養父母が敵国の子供に対し注いでくれた愛情も永遠に心に刻まれている」と述べました。

また、副理事長の宮崎慶文氏は「中日両国は相互依存、一衣帯水の関係にあり、国民同士は互いに友好的である。戦争には断固反対して、平和を祈る」と話しました。

北京大学の賈蕙萱教授は、「皆さんの誰もが中日双方からの架け橋になれる。両国の平和と友好に向けて、絆としての役割をしっかり発揮してほしい。中日が友好的隣国として互恵協力を行うことこそが、国民の願いだ」と期待を述べました。

座談会の後は、団員と学生らによる交流公演が行われ、残留孤児が自らの体験に基づいて創作した朗読劇「孤児の涙」が、多くの観客の涙を誘いました。この作品は日本の軍国主義者による中国侵略と植民の歴史に触れ、中国からの引き揚げ時に足手まといになるとされて、現地に遺棄された子どもたちが中国人の養父母に引き取られていくシーンを再現しています。

交流に参加した学生は、「『孤児の涙』を見て、心が揺さぶられた。戦争で傷を負った皆さんだからこそ表現できる、中国人養父母への心からの感謝、戦争のもたらした悲しみが伝わってきた。大変有意義な体験だった」と感想を話しました。

交流会は、「NPO法人中国帰国者・日中友好の会」の会歌である、「心の声を伝えたい」の大合唱でフィナーレを迎えました。

「私には二つの家がある。一つは日本にあり、もう一つは中国にある。祖国に帰っても、中国の家をいつも懐かしく思う。中国の養父母がいなければ、誰が私を引き取り、誰が私を育ててくれただろう」という歌詞の一句一句が会場に響きました。

池田理事長はCRIのインタビューに対して、「私たちは日本人でありながら、中国の心も持っている。中国で育ち、日本に帰ったからだ。日本は私たちの祖国で、中国は故郷だ。日本人と中国人は何世代にもわたって、兄弟姉妹として、いつまでも友好的に付き合ってほしい」と願いを語りました。

1945年、日本侵略軍が中国東北部から撤退した際、現地に遺棄され、中国人の養父母に育てられた当時13歳未満の子どもの人数は4000人以上いるとされています。その内の約2500人が1980年代以降、日本に帰国しました。帰国者の平均年齢は今、78歳を超えています。

残留孤児の歴史を後世に伝え、中日友好の絆をつないでいくため、今回の訪問団には22人の残留孤児二世が加わっています。残留孤児二世の伊藤麗子さんは、「訪問団に参加できて光栄に思う。これは、日中友好のために、私たち二世も架け橋になる貴重な機会だ。故郷のハルビンで親戚や友達にも会えて嬉しかった」と喜びを語りました。

なお、訪問団一行は22日に、日本からハルビン入りしました。ハルビンでは侵華日軍七三一細菌部隊罪証陳列館を訪れ、常設展と特別展「中国人養父母の広い心」を見学したほか、ハルビン音楽学院では、中国人養父母代表を迎えての報恩公演が開催されました。団員の一部は、方正県にある日本人墓地と中国人養父母の共同墓地の墓参りを行っています。帰国は28日の予定です。(王小燕、梅田謙)