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上海•大阪交流文集|30年はまさに風華正茂――黄浦区と寝屋川市の友好提携の略記

2023年 1月 29日16:25 提供:東方網

 寝屋川市は大阪府北東部に位置する町である。日本語では「河」を「川」とし、寝屋川が市を貫いてこの市に名を与えると同時に、多くの活気も与えている。市は北摂衆山と生駒山地に囲まれて、四季折々の景色が心地よい。機械製造業が発達し、教育資源が豊富で公共施設が完備しており、現在、約24万人の住民が安住している。

 1980年に上海市と大阪府は友好都市協定を締結。市レベルの友好都市の枠組みのもとで、現在の黄浦区の前身の一つである盧湾区も、1988年から寝屋川市との友好交流活動をスタートさせた。中国人民対外友好協会の許可を得て、1994年5月12日、盧湾区と寝屋川市は上海―大阪友好都市の枠組みの下で友好都市協定を締結し、五つの区県友好都市の一つとなった。

1995年5月盧湾区第4回訪日友好代表団が日本大阪府寝屋川市を訪問

 黄浦区と寝屋川市が友好都市協定を締結して30年来、寝屋川市から我が区への訪問は40回余り、我が区の訪日はおよそ30回に及ぶ。両方の政府間交流は頻繁かつ順調で、各分野における協力は雨後の竹の子のように発展してきた。

 黄浦区は上海大都市の中核に位置し、地域面積は広くないが人口が密集しており、歴史の蓄積が厚く、文化と教育資源が豊富で上海の特色があるため、双方の交流と協力の重点は一貫して文化、教育、民政、青少年などの分野となっている。1997年6月、元盧湾区と寝屋川市は手を携えてチームを作り、全国友協と全国卓球協会が主催の「中日友好都市高校生卓球レース」に参加。両地の青少年が手を携えて協力して優秀賞を受賞して、共に奮闘する生き生きとした描写となった。この時期、両地の教育、芸術、女性、民政など各界の代表団の相互訪問は頻繁で、二国間交流は無から有へ、有から優へと、双方がさらなる友好協力事業を展開するための堅固な基礎が構築された。

1999年8月盧湾区青少年芸術団が寝屋川に赴き交流活動を行う

 21世紀に入ってから双方の友好関係はますます発展し、プログラムの種類は引き続き増加し、その内容と形態はさらに豊富になっている。黄浦区の盧湾中学校、五愛中学校、師専附小学校、巨鹿路小学校は次々と相手の関連校と姉妹校関係を締結し、各校は優位性を活かしてスポーツ、芸術、文化の面で多くの人気のある交流プログラムを開発し、相手の長けるものを学びながら、自分自身の優位をも分かち合っている。これらにより両地の青少年の相互理解は促進され、互いの友情が増進されたのである。2008年、寝屋川市で「新天地in NEYAGAWA 2008」が成功裏に開催され、大人気を集めて熱烈な反響を呼んだ。2010年には万博に深い絆のある寝屋川市民が何回も訪問団を結成して上海に万博を見学に来て、我が区の心温まるもてなしを受けた。

2010年8月寝屋川市代表団が上海万博を見学

 2018年9月、寝屋川市長団、議員団、市民団など合計3団50人余りが黄浦を訪れ、上海観光祭の開幕式に参加した。市民団は主に青少年で構成されていて、寝屋川市国際交流協会が300人以上の候補者の中から厳選したエリートたちだった。南京路世紀広場と打浦橋街道コミュニティ市民センターで、彼らは自主編成した日本鳴子舞を献上し、伝統舞踊と革新的な編成を融合させた演技は観衆の目を見張らせた。のみならず、子供たちのまじめかつ元気な心意気も人々に極めて深い印象を残し、上海観光祭期間中の魅力的な風景となった。

2018年9月寝屋川市青少年訪問団が打浦橋街道コミュニティ市民センターで上演

2010年9月寝屋川市青少年訪問団が上海観光祭期間中に出演

 黄浦と寝屋川が共にこの交流協力事業の美しい一章を綴られることには、両国の地方交流協力プラットフォームと両地の人々の心のこもった努力と切り離せない。新しい歴史の起点に立ち、黄浦区はこれからも引き続き自身の優位性を十分に発揮しながら、チャンスをしっかりとつかんで資源を見つけ出してゆく。都市発展の企画に合わせて協力を深め、金融、商業貿易、専門サービスなどの産業分野における日本側とのプロジェクト協力を推進し、双方の市民の相互理解と友好交流を深め、中日友好事業に独特の力を貢献していこう。

(作者:黄浦区外事弁公室)