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上海•大阪交流文集|手をつないで20年 中日の友情を語り合おう——甘泉外国語中学と日本大阪の交流を振り返る

2023年 1月 29日16:15 提供:東方網

  1972年、甘泉外国語中学は「日中国交正常化」を機に、先頭に立つ勇気を持ち、度胸を据えて中国全土で初の日本語教育をスタートさせた。今年で50周年を迎える甘泉外国語中学は、この50年の悠々たる長い歴史の流れの中で、人を育てることを使命とし、さまざまな活動を表現の媒体としてきた。そして、文化は教育の魂の理念と捉え、半世紀にわたって多文化的資質を育むことを探求し続けてきた。その結果、これまで30を超える日本の自治体と交流し、とりわけ上海の友好都市である大阪との間には、実に多くの感動的な物語も生まれた。ここではその中から、小さな物語三つを取り上げ、その感動を美しい旋律に乗せて、味わってもらおう。

 「友」という字でつなぐ:大阪の姉妹校との20年の友情

 我が校と最初に姉妹校関係を結んだのは、大阪市立勝山中学校である。そのきっかけは偶然的とも、また、必然的とも言える。2000年、劉国華校長(当時)は、中国全土からの人材募集に応じて甘泉学校に赴任し、「日本語を特徴とし、他言語を発展させ、文化理解を深める」を学校運営の特色として掲げた。その年に劉校長は日本からの訪問団を迎えてのあいさつで、「甘泉学校は日本語教育を特色とする学校であり、日本の学校と交流して中日の教師、また生徒間の交流を深めていきたい」という強い思いを、訪問団に伝えた。すると、その中の大阪のある学校の校長が、「ぜひ交流したい」と手を挙げた。その学校が、大阪市立勝山中学校だった。

 その後、数回にわたる往復の書簡を経て、両校の間では教員や生徒同士の交流、経営管理陣の交流、中日文化の相互理解といった内容が決められた。そして姉妹校の協定調印式が大阪で行われ、勝山中学校の生徒たちは校庭に整列し、「友」の人文字を作った。現地のマス•メディアはヘリコプターで空中からその場面を撮影し、当時の貴重な瞬間を記録した。

勝山中学校の校庭に現れた「友」の人文字

 この写真は当時、日本で大きな反響を呼んだ。この「友」という字を起点に、勝山中学校との交流は20年にも及んだ。2020年に勝山中学校は校名を大阪市立桃谷中学校に変更。コロナ禍にもかかわらず、学校間の交流は途絶えることなく続き、動画やメール、絵画作品を通して何度も互いに励まし合い、ともにさまざまな困難を乗り越えた。この20数年間、両国の若者は深い友情を結んだ。一方、甘泉学校も、この「友」によって世界と手をつなごうという強い信念を固め、これまで15カ国およそ40校以上の学校と姉妹校となり、友好関係を築いてきた。    

2006年甘泉学校を訪問する勝山中学校の生徒

学校名変更後の大阪市立桃谷中学校の生徒による動画挨拶

甘泉外国語中学の生徒の作品

大阪市立桃谷中学校の生徒の作品「絆」

 大学のホームページにも載った交流記事:日本の大学教授に感動を与えた中国の初等教育の現場  

 2018年12月1日、大阪市立大学代表団が甘泉外国語中学を訪れた。団長を務める大阪市立大学の小田中章浩副学長をはじめ、大学の理学部、工学部、文学部、商学部、それぞれの専攻の専任教授四人が同行して来校した。二人のノーベル賞受賞者を輩出した名門大学の教授と対面できると聞いて、在校生たちは興奮の気持ちを抑えきれず、その「手前講義」を受けるため、懸命に多くの準備をしていた。    

 商学部の教授は「会計の授業は本当に面白いのか」、文学部の教授は「アニメ表現入門」、理学部の教授は「生物はどのように時間を計算するのか―人とミツバチを例に」、そして、工学部の教授は「上海と大阪の環境汚染はそれぞれ、どう解決していくのか」というふうに、それぞれ幅広い知識を必要とするテーマで講演を行った。難しい内容だったにもかかわらず、甘泉外国語中学の生徒は「怖いものを知らず」で、授業中自由に表現し、大胆に発言した。それを見た小田中副学長は、甘泉学生の日本語の応用能力とその思考力に驚嘆した。同行していた教授たちも、のちに、「上海甘泉中学での模擬授業」と題して記事を綴り、大阪市立大学のホームページにも、その記事が掲載された。

 日本の教授が実際に見聞したように、甘泉外国語中学では、「民族的感情、国際的視野」を建学理念として掲げており、長年にわたって独立革新、思弁かつ実務的なグローバル人材を育成して、生き生きとした中国初等教育の成果を築き上げてきた。今日に至るまで、本校の数百人の卒業生が日本の大学に進学し、4名は日本留学試験の文系理系のトップの成績も収めた。また、大阪大学は中国現地募集の枠を設け、本校でも合計22人の学生がそれに合格している。

 一度手をつなぐこと:ポストコロナ時代における国際交流の新たな探求

 2019年、甘泉外国語中学の劉国華元校長は招請により大阪常翔学園を訪れた。その際、本校の建学理念と特色を紹介し、学校間の更なる交流を促した。そのお返しとして2019年秋、常翔学園高等部の田代浩和校長が本校を訪れ、身をもって甘泉学校の雰囲気を体験し、国際部の留学生たちによる「中国語弁論大会」も傍聴した。田代校長は出身の異なる留学生たちの中国語レベルを高く評価した。午前中だけの短い時間だったが、甘泉学校に対して田代校長はたいへんよい印象を持ち、今後、幅広く交流することを約束した。

大阪常翔学園の田代浩和校長と本校の国際部生徒の記念写真 

 2020年に新型コロナウィルスが突然にやってきた。予定されていた学校間の交流行事は中止を余儀なくされた。しかしながら、甘泉外国語中学と世界との交流は中止しなかった。2022年3月16日午前中、本校の日本語を学ぶ生徒代表がオンラインの形で姉妹校の協定調印式に参加。在大阪中国総領事館の薛剣総領事及び中日両国の友好人士に温かく見守られる中、甘泉外国語中学と日本大阪常翔学園初級·高級中学は手を繋ぎ、姉妹校関係を締結した。

 調印式に先立ち、薛剣総領事は現地やオンラインの中日両国の青少年に向けて、「中日友好の未来に羽ばたく」と題し、すばらしい文化講演会を行った。総領事は若い生徒諸君に期待を込め、「互いに尊重し合いながら理解を深め、仲良く付き合って中日友好のためにより一層の努力を」の、温かいメッセージを送った。 

甘泉と常翔の姉妹校協定調印式

薛剣•中国駐大阪総領事館総領事による文化講演会

 本学の楊雲氏は協定調印式で次のように述べた。「2022年は中日国交正常化50周年を迎え、甘泉外国語中学日本語教育50周年の年でもあります。一方、大阪常翔学園初級·高等中学校も、今年で創立100周年を迎えられました。『50』と『100』の出会い。この特別な瞬間に、我々は歴史の深い、活力のある共同発展のパートナーを見つけたことは、非常に意味があると考えています」。

  私たちは上海と大阪の各分野における交流の花がますます咲くよう期待している。甘泉外国語中学も、「50」を新たな出発点とし、より多くの日本語を駆使する優秀な人材を育成し、中日友好のために、甘泉ならではの力を注いでいきたい。

(作者:上海市甘泉外国語中学 楊雲、蔣雯禕 翻訳:穆旭明)