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袁隆平氏の功績 上海の松江区でスーパーハイブリッド稲を栽培

2021年 5月 25日15:36 提供:東方網 編集者:王笑陽

 「ハイブリッド稲の父」と呼ばれ、中国工程院院士で「共和国勲章」受賞者の袁隆平氏が、5月22日に湖南省長沙市で亡くなった。袁氏は遠く旅立ってしまったが、彼に対する記憶は人々の心の中に鮮やかに刻まれている。

 約10年前、当時76歳の袁隆平は、3年連続で上海の松江区でハイブリッド稲の栽培を試みていた。各農業基地を回り、田のあぜ道を農民と一緒になって歩きながら科学技術者と真剣に相談し、話し合っていた……。

 上海の松江区は昔から水稲の栽培に適した土地であった。1950年代に松江の農民の陳永康が育てた水稲「老来青」の1ムー(約6.7アール)あたりの生産量は、716.5キロを記録している。

 稲の生産高を決定するのは稲の品種と言われる。「ハイブリッド稲の父」と呼ばれた袁隆平氏は、21世紀の初頭に水稲の1ムーあたり生産量800キロを突破し、業界のリーダーとなっていた。

 当時の松江は、工業化と都市化の急速な発展の影響で農業用地が減って、食糧総生産が減少してきていた。この課題を解決して生産量を高めようと、ハイブリッド稲を導入することが試みられたのである。

 2004年9月、松江の農業関係者チームは袁隆平氏のもとを訪れ、スーパーハイブリッド稲の研究·生産基地を見学。そして袁隆平氏は彼らの要望を受け、松江でのハイブリッド稲栽培に協力すると述べた。その年の11月、松江区政府は国家ハイブリッド稲工程技術研究センターと合同で、上海市松江区に「スーパーハイブリッド稲松江モデル基地」を建設した。

 その後、袁隆平は3年連続で上海の松江区に赴いて、農民や科学技術者と交流しながら稲の栽培方法を指導した。自分の時間がない場合には、自身の研究チームのメンバーを派遣して指導した。栽培期間中は、しょっちゅう電話で生長の状況をたずねるほどであった。

 2006年9月23日、上海市農業委員会は中国水稲研究所、江蘇農業科学院、福建農業科学院、安徽農業科学院、湖南農業科学院、上海農業科学院から集まった7人の専門家による測定と検収を行い、1ムーあたりの生産量が891.33キロとなったことを確認した。800キログラムの目標を達成した瞬間である。

 松江のある農業幹部は、「袁隆平氏はハイブリッド稲の種を伝えだだけでなく、科学や糧食への追求の精神も伝えてくれました。彼は知識人の模範です」と語った。

(編集:範易成)