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2021年 4月 14日15:07 提供:東方網 編集者:王笑陽
日本人の乾浩史氏が2006年に上海に来た当時、閔行区の莘荘工業団地には広い畑が広がっていて、まだまだ田舎の景色だった。乾氏は中国と日本の格差は大きいと思っていたが、「人の持つ無限の可能性」を信じていたので、社員をリードして1年の間に2つの生産ラインを作った。これは日本では不可能な速さであり、この時乾氏は初めて「中国のスピード」を実感したという。
「その後の上海は大きく変化している。街中にどんどんショッピングモールやマンションが立ち並び、生活も非常に便利になった」と乾氏は語った。
今、彼は上海の製造業が非常に厳しい時代を迎えていると感じている。人件費の高騰、製造場所の減少などの問題に直面していて、これに対し、「我々は『Made in Shanghai』上海にこだわって、上海でさらに製造業を発展させていきたいと思う」と述べた。上海のビジネス環境は規制緩和がかなり進んでいるし、上海は新しいものを取り入れていく力もある。乾氏はこれからさらにビジネス環境がよくなり、チャンスも増える、と感じている。