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コロナ禍から復活 上海在住日本人兄弟のサッカースクールの道

2020年 9月 10日16:56 提供:東方網 編集者:範易成

 今年突然起きたコロナウイルス禍は、どの業界にも大きな影響を与えた。サッカースクールも例外ではない。日本神奈川県出身の千葉康博と兄の将智は、2009年から上海で「SPORVA」というサッカースクールを経営している。10年間でこのサッカースクールはたくさんの子供にサッカーを教えた。しかし、今年はコロナウイルスのせいで、彼らのサッカースクールも半年の中止を余儀なくされ、6月になってようやく練習が再開した。でも康博は未来に自信を持っている。彼はサッカースクールの規模を今の2000人から2万人に拡大し、中国のサッカー環境に貢献したいと願っている。

 サッカー道をあきらめない

 1994年、千葉康博は父の転勤で初めて上海へ来た。「上海に来たばかりの時は、延安路高架もありませんでした。今はこんなに大きく変化しました。上海は第二の故郷みたいな場所です」と述べる。

兄の将智は2003年に上海のサッカークラブに就職。2005年に引退したがそのまま上海に留まってサッカースクールを開くことに決めた。元プロサッカー選手だった康博も2008年にホワイトカラーの仕事を辞めて上海に戻り、兄と一緒にサッカースクールを経営し始めた。

 康博は、「サッカーは日本でいつも高い人気を持っています。子供の頃、兄と一緒に通った幼稚園にはサッカークラスがあって、それがサッカーとの初めての触れ合いでした。あの時誰でも同じ環境にいて育ちました、自分の道は自分で選びます」と述べた。

 上海で生活していたので、康博は中国に特別な感情を持っている。大学では中国語を勉強して、2005年には留学生として再び上海に来て、復旦大学で勉強した。卒業後はホワイトカラーとなり、香港に派遣された。康博は「会社は給料も福利厚生もいいですが、仕事は大変でした。それでだんだん自分の望んだ生活ではないと思うようになり、自分は何をしたいのかを考え始めました」と述べた。結局最後は兄の影響を受けて、康博は夢をあきらめずに再びサッカーの道を歩むことを決心し、2008年に退職すると、人生3度目となる上海で、兄と一緒に創業した。

 サッカーは身を処する術も教える リーディング企業として業界の価値を高める

 最初の頃、サッカースクール「SPORVA」の生徒は上海で生活している日本人の子供だけだったが、2009年以降は中国の子供も募集し始めた。外国人として中国でサッカースクールを経営するのは大変だ。最初の数年間は会社はずっと赤字続きだったが、2010年に日本の「利福楽世体育信息諮洵有限公司」から出資を獲得し、資金面の困難から脱出。2012年には兄弟二人で守り続けてきた会社が、とうとう黒字に転じた。

 2015年、中国のサッカー改革全体案が発表されると、キャンパスサッカーをはじめとする青少年サッカースクールが盛んに開かれるようになった。これは千葉兄弟の事業に大きな衝撃を与えたが、経営理念を改めて確認するきっかけともなった。

 現在の「SPORVA」のクラスは、普及クラス、アドバンスクラスとエリートクラスに分かれている。所属人数は約2000人で、2015年当初の900人から倍に増えた。コーチは18人で、うち日本人が3人だ。

 康博は、「会社を設立したばかりの頃は甘かったと思います。ひたすら前に進むことだけを考えていました。2015年に激しい競争に遭遇して、なかなか将来の方向が決まりませんでした。その後、会社の経営理念と価値観を改めて確認したことで、安定した発展と人数の増加を迎えました」と述べた。

 康博はこの事業を通じて、スポーツの価値を高めるには子供たちのサッカー技術だけでなく、従業員の社会的地位や業界全体の印象を向上させる必要がある、と指摘した。彼は、「子供たちにサッカーを教える以外に、社会のためにいい環境と文化を作りたいです。子供たちはここで技術を身に着けると同時に、人格教育も受けています。これらの細やかさが他のサッカースクールとの最も大きな違いです」と述べた。

 康博は、「サッカーは人を選べませんが、人はサッカーを選ぶことができます。子供がサッカーを選んで、サッカーをしたいという気持ちがあれば、私たちは必ず全力で指導をします。子供に少しでも成長が見られたら、私たちは褒めたり励ましたりして、もっとサッカーが好きになるよう導きます。子供が将来にどの道を選ぼうとも、子供の時に本当に好きな趣味が見つかれば、その人の人生にとって大きな助けになるでしょう」と述べた。

 困難を乗り越えて復活を迎える

 今年の突然の疫病は千葉康博の仕事と生活にも大きな影響を与えた。疫病が発生したばかりの時、日本の状況はまだそんなに悪くなかった。家族といったん日本に戻ったものの、彼は急いで一人中国に戻った。その後、日本でもコロナウイルスが蔓延し、彼の家族はずっと日本にいるままだ。家族ともう8ヶ月間会っていないが、彼は、「会えないですが、妻と子供とはウィーチャットで連絡を取っています。これからビザが開放されたら、すぐに会えると信じています」と語る。

 仕事の影響については、サッカーコースは1月中旬からすべて中止になったと明かした。6月中旬から徐々に回復し始め、30%~40%ぐらいに回復し、現在は元の80%~90%までになった。しかし、まだいくつかの困難に直面している。中でも練習場所の確保が最も大きな問題だという。

 これまで、コースの練習はほとんどが上海の小中学校で行われていたが、コロナウイルスのせいで、各学校では現在、防疫のために厳しい管理をしている。康博は、「現在は主に商業用のサッカー場でトレーニングを行っていますが、上海にはサッカースクールが多いので、安定した練習場を見つけるのはとても難しいです。練習場の安定性と数は私たちにとって大きな問題です。しかし、コロナウイルスが収束すれば、今後はもっと多くの練習場が開放されると信じています」と述べた。

 康博が上海に初めて来てからもう26年経った。上海と縁を結んでここで生涯の大半を送った康博は、上海は活気に満ちた都市であり、彼の第二の故郷であり、ここでの生活はとても快適であると考えている。「家族と仕事は上海にありますし生活も便利です。チャレンジに満ちた生活ですが、ここでたくさんの中国の友達ができました。彼らも私を支えてくれます。夢を追いながら上海の発展も見えます」と述べた。

 康博の夢は、将来的に子供たちの数を現在の2000人から2万人、さらには5万人に拡大することだ。そして、事業を上海から全国に展開し、中国のサッカー環境に貢献し続けたいと希望している。

(実習編集:范応良 動画、写真:范易成)