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東京裁判の最後の目撃者·高文彬氏が上海で逝去

2020年 9月 8日14:50 提供:東方網 編集者:曹俊

 2020年9月7日午前3時10分、中国の有名な国際法学者で、東京裁判に中国側代表団の一人として参加した上海海事大学法学院の高文彬教授が、上海で逝去した。98歳だった。氏は生前、「毎回の思い出と口述はその歴史への反省と記念だ」と述べていた。

高文彬教授

 当時の日本軍国主義政府がどれ程の罪を起したかを知らない若者が、今とても増えている。特に東京裁判の歴史を知らないし、聞いたことがない人もいる。これらを次の世代へ伝えることはどうしても必要なことであり、歴史を正しく認識させなければならない。以上は2015年に上海海事大学の教師と学生が高教授に会いに行った時、高教授が述べた言葉だ。さらに教授は、自分は東京裁判の「生きる歴史」と目撃者として、重要な歴史的意義のある裁判をより多くの人に教える責任と義務を持っている、と述べたこともある。

 1922年12月、高氏は上海の普通の家庭に生まれた。東呉大学呉淞付属中学(高校)を卒業後、当時、中国国内で法学教育分野の頂点だった東呉大学法学院に進んだ。1946年5月、極東国際軍事法廷の中国検察官であった向哲浚氏は、東京裁判での必要から上海で英語の通訳者を募集していた。高氏は東呉大学の劉世芳教授の推薦を受けてテストを受けた後に採用され、向哲浚氏の通訳とアシスタントとして、東京裁判に参加した。高氏は同僚らと一緒に、日本戦犯の罪を調査。そして中国側代表団の努力の結果、極東国際軍事法廷は日本の戦犯全員を有罪とし、7人のA級戦犯に死刑を言い渡した。

 東京裁判に関わっていた当時、高氏は毎日の裁判記録をまとめて、2箱にまとめて保存しておいた。そして帰国する際に、航空機に載せられなかったため、横浜から船便で送ることにした。資料を複製して2箱をそれぞれ南京司法行政部と東呉大学法学院に送ったが、残念なことに資料は行方不明になってしまった。その後、向哲浚氏の息子である向隆万氏は、上海市欧米同学会の協力を得て米国から東京裁判の貴重な史料を集め、東京裁判研究センターを設立した。

 高氏の教え子で弁護士をしている周琦氏は、高教授が亡くなったことを聞いて、「この知らせを聞いて驚きました。とても悲しいです」と述べ、「先生は上海語で形容すると“老克勒”(old white-collar:紳士)でした」と語った。

(編集:曹 俊)