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草の根の日本訪問 中日民間交流の促進

2019年 12月 20日13:19 提供:東方網 編集者:範易成

  上海杉達学院の大学堂の外は雨がしとしと降り、大学堂内では学生たちが静かに兪彭年教授の話に耳を傾けている。テーマーは「私が参与した上海と日本との民間交流」。  

  兪彭年氏は曽て長く上海市人民政府外事弁公室副主任を担当し、上海市人民対外友好協会副会長をも務めた。前世紀80年代、「世界が上海を知り、上海が世界を知る」というモットーで同僚と一緒に「上海国際友好都市テレビフェスティバル」を始めた。  

  曽て自分が参与したいくつかの中日文化交流の思い出を一つ一つと話した。日本の「池坊聖流」の師匠を上海に招いて生け花の講座を開いてもらい、作品展を開催した。生け花は瞬く間に上海中に広がった。友好都市横浜市を通して岩崎洋裁学院に指導してもらって非公開のファッションショウを開いた。その後、ファッション活動は雨後の筍のように広がっていった。上海観光フェスティバルの早期、徳島市の日中友好組織を通じて有名な「阿波踊り」を上海で披露してもらい、大きな反響をもたらして中日の民間交流を促進した。  

  前世期末、定年退職した兪彭年氏は招聘されて長崎県立シーボルト大学で教鞭をとった。主に中国の改革開放の講義をした。2008年8月退職して上海に戻り、中国人の日本を知る仕事を始めた。日本を紹介する文章を次々と書き上げ、2017年にそれらをまとめて『日本を知る 日本語を知る』という本を出した。この本のお陰で「日本を知る 日本語を知るウィチャット仲間」ができた。それからはその仲間たちと民間交流活動を始めた。一昨年の9月、「海のシルクロード日本拠点長崎探訪団」を作り、一行30人自費で出発した。長崎県知事に表敬訪問をし、在長崎中国総領事にお会いした。昔の唐船貿易の遺跡を訪ね、日本国宝の崇福寺を見学し、海上武装商人集団の首領王直の遺跡などを見て回った。一泊民宿して、定置網の魚どりを体験した。観光名所の雲仙の旅館での夕食時に、兪彭年氏は日本語で杜甫の詩『春望』を朗唱した。「国破れて山河あり 城春にして草木深し 時に感じて花にも涙を注ぎ 別れを恨んで鳥にも心を驚かす 烽火三月に連なり 家書万金にあたる 白頭掻けばさらに短く 渾てしんにたえざらんと欲す」。翌日朝早く、日本人の旅館の人が漢字できれいに『春望』を写して兪彭年氏に署名をお願いした。その人の言うには、夕べ料理を運んでいた時、ちょうど『春望』を朗唱されていたので、聞いて感動しました。高校の時のこの詩を習いました。私はこの詩が大好きです、と。兪彭年氏は喜んで署名して、「唐詩がお好きとは嬉しいことです。私たちは文化の上では相通じていますね」と、親しく話し合った。  

 今年の5月、仲間たちは一行20人でまた自費で長野県飯田市阿智村の「満蒙開拓平和記念館」を訪問して当地の日中友好協会の方たちと交流した。飯田市の市長をも表敬訪問した。長野県の地元の新聞社二社が中国初の民間団体が見学、訪問したと報道した。この訪問は中国の指導者が言う「国の交わりは民があい親しくすることにあり、民があい親しくすることは心があい通うことにあり」を体現していた。兪彭年氏は「中国の指導者は日本人民も戦争の被害者だと言っています。私たちは歴史を鏡とし、未来を志すようにしています。」日本側は「満蒙開拓団員は戦争の被害者です。また同時に戦争の加害者でもあります。一昨年、天皇陛下と皇后陛下がお見えになり、お帰りの際に、この歴史をよく伝えていくようにとのお言葉をいただきました。」  

 話を戻して、兪彭年氏は中國の勃興、経済のグローバル化、科学技術の大進歩などはこれまで百年来未曽有の大変動であり、中日関係も遂に転換点を迎えることになった、と話を進めた。現在、中日双方は「互いに協力パートナーとなり、互いに脅威となさない」との願いを示し、合意に達している。そして関係改善の勢いを見せている。  

 「戦略の面で互いに心をひきつけるようにする」には「民があい親しくしあい、心を通わせる」ことが必要だ。中日両国の文化のつながりは歴史が長くえんえんと続いている。したがって、交流において詩歌などの要素を加えればたいへん素晴らしい効果が生まれる。先ほど話した杜甫の詩『春望』のようなエピソードが生まれる。それで、これからは交流の中で皆さんがたくさんの中国と日本の詩歌を朗唱できるように期待したいと言った。続けてこう話を展開した。みなさんもよく歌う「北国の春」は故郷を離れて他所で働く人たちが故郷を思う歌であり、帰りたくても帰られないもどかしさを歌っている。日本の農村では、家業を継ぐ者はふつう長男であり、次男や三男や四男などは家を出て他所へ働きに行かなければならない。他所にいて故郷を思うのは人の常であり、しかし家を離れて働きに出た以上は家には自分の居所はなくなり、里帰りはできても、家に定住することはできない。日本の有名な詩人室生犀星の詩だが、「ふるさとは遠きにありて思うもの、そして悲しくうたうもの」と詠んでいる。『北国の春』はまさに故郷を思い、故郷を悲しく歌う歌だ。

 年末年始に当たり、兪彭年氏はこう話した。2020年の春に中国の指導者が正式に日本を訪問する。報道によれば、双方はいま五つ目の文書を協議中、両国が新しい時代に入ったことを確定する。これまでの四つの文書は、1972年の中華人民共和国政府と日本国政府の共同声明、1978年の中華人民共和国と日本国との間の平和友好条約、1988年の平和と発展のための友好協力パートナーシップの構築に関する中日共同宣言、2008年の「戦略的互恵関係」の包括的推進に関する中日共同声明である。この四つの文書は経済実力では中国が日本に劣る状況においてできたものである。来年にできる文書は経済実力で中国が日本に勝る状況においてできる。これも百年来未曽有の大変動の現れともいえよう。

 日本人がたいへん好きな唐の詩人劉希夷の詩『白頭を悲しむ翁に代わりて』の中に「年年歳歳 花相似たり 歳歳年年 人同じからず」がある。兪彭年氏は最後に新しい年は期待すべき年だと結んだ。

 素晴らしい話に満場の拍手が沸き起こった。上海杉達学院の日本語科の田建国教授が司会を務めて、院長補佐兼国際交流処李麗処長が学生の諸君に勉学に励み、才能をのばし、中日民間交流に貢献するようにと激励した。

(章坤良、写真も)