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女性建築家が上海の石庫門を描く 「街の記憶を残したい」

2019年 5月 27日9:43 提供:東方網 編集者:王笑陽

 中国の街の代表的な建築様式として知られた北京の「四合院」と上海の「石庫門」が、都市化が進むいまの時代、人々の脳裏から消えゆこうとしている。その記憶を残すために、上海の女性建築家·徐大緯は、万年筆で上海の石庫門を描き続けている。「普通の上海人として伝統的な石庫門を懐かしみながら、街の記憶を残したい」という思いを込めながら。

 高層ビルの間に埋もれている上海の「石庫門」には、「陸家嘴やバンドのような立派さもない代わりに、武康路と華山路のような閑静さもない。狭い空間に複数の家族が住まうことは、決して情けない生活ではない。お互いに世話をしながら仲良く暮らしていたので、穏やかで楽しかった」と、徐大緯は石庫門での暮らしを懐かしみながら描いている。

 石庫門は1860年代から見られるようになった上海の中洋折衷型の伝統的建築様式である。「弄堂」と呼ばれる直線の路地を囲むように、2、3階建ての建築物が連なる構造であり、それぞれの路地の入口に装飾的で美しい石のアーチがあることから「石庫門」と呼ばれることになったものだ。石庫門式建築の名前は「~里」と名付けられたのが多かった。

 石庫門「歩高里」の入口。1930年代にフランスのビジネスマンが投資し、中国建業地産公司が設計·建築したものだ。そのため、入口の石のアーチには、「CitéBourgogne」というフランス名も刻まれている。内部には、路地を囲むように79棟の2階建ての住宅が並んでいる。手つかずのままで残っている数少ない大規模の石庫門建築の一つだ。

 1930年前後アヘンの闇取引で巨万の富を得、上海を裏で操った伝説のギャングスター杜月笙(とげつしょう)の個人住宅「杜公館」。そもそもは寧海西路にあったが、嘉定区の西雲楼商業街へ移動し、後に修繕された。石庫門式の2階建て1棟と中洋折衷型の3階建て1棟からなっている。ヨーロッパ式のアーチに中国の伝説の動物である麒麟(きりん)と鳳凰(ほうおう)のイメージと、漢字「竹苞松茂(子孫繁栄を祈る意味)」が象嵌されている。