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芍薬、牡丹、海棠…昔の中国のお花見事情

2019年 3月 21日9:22 提供:東方網 編集者:王笑陽

 日本でお花見といえば基本的に桜の鑑賞を指す。日本の桜は特に有名で、そのためここ数年は、春になるとわざわざ日本まで桜を見にいく中国人が増えるいっぽうだ。だが中国国内でも、桜の名所や桜の季節限定商品などに関するニュースが次々に報じられ、春の人気話題となっている。

 実は、中国人の花への愛情は昔から変わらない。

 隋朝の煬帝は瓊花(ケイカ)という花を特に愛し、それを見るためにわざわざ瓊花で有名な江蘇省揚州市に行ったという伝説がある。揚州市は唐の時代に日本に渡った鑑真和上の故郷であり、中国仏教会が鑑真和上の遷化1200年後の1963年に、日本の唐招提寺に瓊花を送ったこともある。

 瓊花は花の中心部分が8つの白い5弁の花に取り囲まれた姿であることから、8人の仙人に喩えられて「八仙花」とも呼ばれる。開花時期は4月から5月まで。現在、揚州市の市花である。

瓊花(ケイカ)

 だが、宋の時代に揚州の有名な花は芍薬(シャクヤク)だった。初夏に咲く花で、牡丹と並んで宋の人々に愛された。「天下の名花といえば、洛陽の牡丹と広陵(揚州の別名)の芍薬」という説がある。

芍薬(シャクヤク)

 中国史上唯一の女帝である則天武后(武則天)は、洛陽の牡丹を特に愛したことで有名だ。毎年牡丹の見頃になると、則天武后は盛大な酒宴をもうけたり、詩歌を作ったりしてお花見の興を添えたという。

 洛陽は古代中国において花の中心地として有名だったと言われる。北宋時代の首都は河南省開封市で、首都を花で飾るために洛陽市から大量の生花が送られた。洛陽から花が到着すると、都の人々は様々なお花見の行事を催したという。

 もちろん洛陽でもお花見が盛んに行われた。洛陽出身の邵伯温が書いた『邵氏聞見前録』には、「洛陽の風習。お正月には梅の花、二月には桃の花と李の花、三月には牡丹。花が満開の所には四方から様々な人が酒を持って集まって来る」と記載している。

牡丹

 南宋になると都は杭州(当時は臨安と呼ばれる)に定められたが、お花見の風習は変わらなかった。「旧暦二月十五日は『花朝節』である。浙江(杭州市は浙江省にある)では春の本番になり、色とりどりの花が咲き始めるころにお花見を行う風習がある。都の人々はみんな街の銭塘門から出て玉壺、古柳林、揚府、雲洞へ、または銭湖門から出て慶楽、小湖へ、または嘉会門から出て包家山にある王保生、張太尉の庭園へ、珍しい花や木を鑑賞しにいく」(『梦梁録』)という記載がある。

海棠

 そして明·清朝の時代に首都となった北京には、海棠で有名な韋公寺や三官廟、ハスの花で有名な十刹海、菊の花で有名な天寧寺など、お花見の名所がたくさんある。

 このように古代中国のお花見事情を見て行くと、現在人が桜を見るためにわざわざ日本まで行くのを理解できないことはない。中国人の花に対する愛情は、昔からずっと変わっていない。ただ、今の時代、芍薬や牡丹、海棠よりも、これまで中国人にはそれほど馴染のなかった桜やチューリップなどが人気の花となった、ということである。

(W)