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楊曹文梅:若者は水を飲む時、源に思いを馳せなければならない

2019年 1月 30日13:32 提供:東方ネット 編集者:範易成

  ACGA(アジア企業統治協会)の栄誉理事長楊曹文梅女史は、中国上海で生まれた。1946年にアメリカに移住し、その後、1993年から1999年まで、アメリカ政府の代表としてアジア開発銀行で働き、その間、上海蘇州河の整備事業に力を尽くした。その功績が認められ、2016年には上海市栄誉市民が授与された。

  故郷に帰って浦東建設に力を尽くす

  取材を受けた楊曹文梅女史は、記者の質問に対して流暢な上海弁で答えてくれた。上海で生まれた彼女は、20歳まで上海を出たことがなかったという。家は蘇州河の側にあって、1945年にSt. John's University(現華東政法大学)を卒業した後、アメリカへ留学した。

  卒業後、楊曹文梅女史は1990年代にアメリカ政府の代表としてマニラに本部を置くアジア開発銀行で働く。アジア開発銀行(Asian Development Bank, ADB )は、アジア·太平洋における経済成長及び経済協力を手助けし、開発途上加盟国の経済発展に貢献することを目的に設立された国際開発金融機関である。「あのころ、私は仕事で上海に戻るチャンスが多くなって、90年代の上海の飛躍的な発展を見ることができたのです」と語った。

  90年代初め、上海の浦東建設は大きく展開していた。中でも南浦大橋と楊浦大橋の建設は、浦東の加速的発展に緊密に関わる重要事項だった。この河川橋の工事は、前代未聞と言っても過言ではないほど大規模であり、多額の資金援助が必要だった。楊曹文梅女史によると、当時、南浦大橋へアジア開発銀行が直接貸し付けた金額は7000万ドル、協力融資は4800万ドルであり、楊浦大橋の場合、直接ローンが8500万ドル、協力融資は7900万ドルだった。それだけでなく、アジア開発銀行は日本の長大グループに依頼して、橋の工事に必要な技術関連スタッフの派遣など、プロジェクトの実行に協力してもらったという。

 南浦大橋と楊浦大橋はそれぞれ1991年、1993年に竣工した。以前は上海市民が浦西から浦東へ行くのに、船に乗るしかなかったが、これでようやく橋で行けるようになった。交通が便利になったことで、浦東地域の工業、金融、物流など様々な分野で、新たな成長が始まった。

  いつも蘇州河を気に掛けている

  90年代、上海の蘇州河の汚染は深刻だった。全市流域で河は黒く汚れていて臭かった。市民の生活にも影響し、衛生の悪化や健康被害など、多くの問題が生じていた。1997年、上海市政府は200億元規模の汚染改良プロジェクトを企画し、1期工事の投資額は86億元となった。そしてこのプロジェクトにも、楊曹文梅女史は関わる。アジア開発銀行の上層部に、「私は上海出身ですから上海の娘なのです。蘇州河の環境改善は必ず市民生活の質を大きく改善します。どうか支援してください」、と強く訴えた。彼女の努力によってプロジェクトに対する融資提案は取締役会で許可され、貴重な3億元のローンが確保できた。

  蘇州河整備プロジェクトの効果は、河が美しさを取り戻すだけではなく、もっと深い効果があった、と彼女は確信している。このプロジェクトを皮切りに、上海全市における各河川の環境が整備されたことで、水質の総合管理も重視され、上海の都市生態環境の整備と市民生活の大幅な改善は、上海の国際的大都市というイメージアップにも貢献したという。

  「今年は改革開放40周年です。今の上海は前の世代の人々が努力したことで作られてきました。これからの新しい40年は若者が作ります。若者は水を飲む時、その水源を思わなければなりません。そして上海のための努力を引き継いでいくのです」、と期待を込めて語った。