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【改革開放40周年40人】情熱家ノヤン氏の願望:上海の建設に貢献したい

2019年 1月 18日13:24 提供:東方ネット 編集者:兪静斐

 1983年、トルコ·アンカラ大学漢学部卒業のノヤン·ロナ氏は、トルコ初の国費留学生として中国に来た。そして北京語言学院(今の北京語言大学)で中国語を勉強し、その後、武漢大学の大学院で歴史部を学ぶ。中国に来た時の最初の印象について、ノヤン氏は「改革開放したばかりの頃で、中国に来る留学生はまだ多くありませんでした。多くの国が中国との国交正常化がまだだったため、私は早い時期に中国に来たと言えます」。ノヤン氏の大学生活は中国政府から奨学金が貰えたためわりと余裕があった。しかし当時は社会条件が厳しく、ノヤン氏によると、「よく停電して、週に二日しかお湯を提供していませんでした。毎日2時間の集中暖房だけで、とても寒かったです。外出はいつもバスで、自転車を持っている人も少なかったです」。さらに外国人の外出も制限されていて、「毎月、外国人向けに開放する都市のリストが発表されました。北京から武漢へ行くには必ず通行証が必要でした」、と語った。

  トルコ人のノヤン·ロナ

 大学院を卒業した後、ノヤン氏はトルコ外交部、トルコ在中国大使館、トルコ在上海総領事館に勤めた。そして1999年にトルコ担保銀行に入り、上海代表処の首席代表になる。トルコ担保銀行は、改革開放後、最初に中国で代表処を設立したトルコ銀行であったが、上海が中国における金融センター、工業センター、サービスセンターであることから、将来の発展と潜在能力を見越して銀行を上海に置くことに決めた。ノヤン氏は1999年の上海の金融環境を喩えて、花が大きく咲き誇る直前の、固く閉じた状態だったと述べた。

 中国との縁はもう30年になるので、ノヤン氏は改革開放以来の中国人の辛さと困難、そして、中国人の努力と勤勉な性格をよく知っている。「改革開放40年で中国は400倍変わりました」。40年後に今のような成果が得られるだろうとは「人類の想像を超えている」「中国人自身も想像できなかったものだ」、と語った。

 ノヤン氏の本棚には賞状と招聘状がたくさん置かれている。このうち一番多いのは、上海の都市管理及びコミュニティサービスにおける貢献に対して上海市排水管理処、長寧区精神文明建設委員会、虹橋街道弁事処などから贈られたものだ。

  長寧区のボランティア活動に参加するノヤン氏