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【改革開放40周年40人】上海ディズニーリゾートの総経理:上海は夢を叶えるウィンウィンのステージ

2018年 12月 17日16:05 提供:東方ネット 編集者:兪静斐

 郭偉誠(フィリップ·ガス/Philippe Gas)はロマンチックな一人のパリ人だ。アジアに深い愛情を感じ、東京、香港、北京、フィリピン、マレーシアと渡り歩いて、最終的に上海に居を構えた。

 2014年、フィリップ·ガスは人生で最も大事な決定をした。それは上海に来て、上海ディズニーリゾートの総経理に就任し、中国最大の外商エンタメプロジェクトを運営することだ。非常に大きな選択だったが、「たとえ何度同じことが繰り返されたとしても、迷わず同じ選択をするでしょう」、とフィリップは語った。

 実は中国との縁は20年前から始まっている。郭偉誠は当時、ウォルト·ディズニー·カンパニーのアメリカ本社に勤めており、アジアの仕事で時々中国に出張しに来ていた。その頃、中国の観光業はまだ遅れていて、サービス業、特にホテル業はスタートしたばかりだった。「しかしこの20年で、中国のサービス業全体のレベルは格段に上昇し、観光スポットの数も観光プロジェクトもずいぶん増えました」、と郭偉誠は語った。

 その例として、スキー愛好家でもある彼は次のように述べた。「ここ数年、中国には一流のスキー観光スポットが次々と作られていますが、これは中国市場の潜在能力の高さをよく現しています。中国はこの市場の発展を目指し、全速で前に進んでいます」。

 2016年6月16日の上海ディズニーランド開業の日は、郭偉誠には一生忘れられない日だ。22年前の中国は、ディズニーから見ればまだ小さい市場に過ぎず、北京にわずか数名の営業拠点があるだけだった。中国人にとってディズニーのイメージは、テレビに映るミッキーマウスやドナルドダックでしかなかった時代。これらのキャラクターが中国内に広まっていくだろうとは誰も思わなかった。

 そしてこの中国大陸にディズニーランドを建設するため、ディズニーと中国側パートナーは55億ドルを投資する。これは改革開放以来、中米間で最大の近代的サービス業協力プロジェクトとなった。中米双方の努力により、長年の交渉の結果、最終的に2009年に上海への建設がついに決定。90年代に上海市の指導者が上海にディズニーランドを誘致しようと考えてから、すでに20年近くの歳月が過ぎていた。こうして2011年4月8日、上海ディズニーリゾートが正式に起工し、赤い唐代の服を身にまとったミッキーマウスが、浦東川沙エリアに登場した。

 「初めて上海に来たのは1999年でしたが、15年後にここで暮らすことになり、その間、上海は目もくらむような発展をしました。初めて来た頃、陸家嘴の建設は始まったばかりで、東方明珠塔のほかに高層ビルはありませんでした。当時の私には今の陸家嘴の繁栄はとても想像ができませんでしたが、東方明珠が上海を象徴していると感じたことは今でも印象に残っています」、と述べた。

 2014年に上海に戻った郭偉誠は、上海、特に浦東の大きな変化に気付いた。そこでまず最初に、人民広場にある上海都市計画館を訪ねた。「ここには上海市の巨大なジオラマが置かれていて、街の発展を直観的に見ることができます。私は友人が上海に来るたびに、まずここに案内して上海の過去、現在、そして未来を見せてあげるんです」、と語った。