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【改革開放40周年40人】フォルクスワーゲン中国CEOヘーズマン氏:競争の開放で革新未来を駆動

2018年 11月 26日16:31 提供:東方ネット 編集者:兪静斐

  

フォルクスワーゲン中国CEOヘーズマン氏

 1978年、中国は外貨獲得高を解決するため、乗用車の組立ラインの輸入を決定。その年の暮れに、当時の鄧小平国家副主席が、中外合資の形で上海で自動車プロジェクトを実施すると発令した。そして、中国機械工業代表団はドイツフォルクスワーゲンの本部に足を運び、6年間で30回以上の協議を行った。中外合資経営企業法、外貨支給、技術譲渡などについて繰り返して話し合い、中国機械業界で最初となる合資プロジェクトを推進。そして中独は1:1の出資割合で、上海フォルクスワーゲン有限会社(現在は上汽フォルクスワーゲンに改名)を立ち上げ、サンタナ乗用車の生産を開始したのだ。このように上海フォルクスワーゲンは中国で最初の中独合資企業であり、その後の合資自動車企業のモデルとなっている。

  1984年10月10日、人民大会堂で行われた上海フォルクスワーゲン合資会社調印式

 1980年代初頭、世界の多くの自動車企業は中国市場に対してネガティブな見方を持っており、中国の自動車産業、特に乗用車産業の条件はまだ不十分だと判断していた。当時の中国のGDPは僅か200ドル。フォルクスワーゲンが中国に進出する以前、中国の自動車普及率はナイジェリアより低く、自動車保有率は1/2500以下だった。しかし、ドイツフォルクスワーゲンは最先端の技術を提供したばかりか、資金の一部を提供し、合資方式で業務提携を促成した。

 ヘーズマン氏は当時の決定に対して、非常に感謝していると同時に敬意も抱いている。それはこれら中国の戦略が、同社のその後の成功の礎になったからだ。80年代から90年代初めにかけて、フォルクスワーゲンは中国の改革開放と一緒に歩んできた。彼は、合資会社の戦略はとても先見の明があった、と次のように語る。「80年代当時の人は、フォルクスワーゲン中国の生産量が2017年に400万台を突破することになろうとは想像もできなかったでしょう」。

 ヘーズマン氏は、「ここ数十年間、フォルクスワーゲンは常に親身になって中国自動車産業の発展に力を貸してきました。そしてこの初心にずっと変わりはありません」、と語る。