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【改革開放40周年40人】新日鉄村田淑:中国鉄鋼業の成長と共に歩む

2018年 7月 20日9:20 提供:東方ネット 編集者:範易成

 前書き:「改革開放」とは中国で1978年から開始された経済政策である。2018年は改革開放政策実施開始40周年にあたる。そこで東方ネットでは「改革開放40周年40人」と題したシリーズ報道を行う。シリーズ報道は経済、貿易、文化、教育、民間交流、科学革新などの各分野において中国改革開放の足跡を目撃した代表的な外国人40人を取材する。彼らの物語を通じて大きな時代の流れを描き出し、中国と上海が歩んできた40年間の発展と智慧を垣間見ようとする。

上海宝山製鉄所の建設は1978年に開始された

    1978年12日、中国共産党第11回3中全会が開催され、改革開放という新しい時代の幕が開いた。その同じ月、上海宝鋼の建設が開始され、中国近代化の旗印となる。二つの出来事は偶然ではなく、この裏には中国が奮い立つために心血を注ぐ人々の努力が込められていた。改革開放と同じ年齢の宝鋼は、2016年に武鋼と合併して宝武集団を設立した。この40年間の歴史を顧みれば、未来に向けてよりいっそうの輝きが得られるに違いない。

宝鋼は改革開放の代表的な企業というだけでなく、中日企業提携のウインウインの手本だ。この物語のもう一つの名前は新日鉄である。

 中国鉄鋼業の進歩と共に歩む

 1977年、鄧小平は冶金部からの提案を受ける。それは外国の設備などを輸入し、海のそばに製鉄所を建てることと、そこで外国から輸入される鉱石を利用することだ。この計画は大胆かつ世界先端のモデルであった。鄧小平は「それなら全力で大きな製鉄所を作ろう。金をかけて世界先端の設備を買おう。」と指示した。すぐに検討に入り、相談を重ねて十分に考察し、最終的に新日鉄から技術と設備を導入することを決定した。そして1977年11月、新日鉄の稲山嘉寛が中国を訪問。企業提携の幕が開いた。

 上海宝山製鉄所の建設は1978年に開始された。中国初の臨海·消費立地型の最新製鉄所として、中国技術進口総公司と新日本製鉄株式会社との間で1978年4月に調印された議定書に基づき、新日鉄の君津、大分、八幡製鉄所をモデルに、粗鋼年産670万トン規模の一貫型製鉄所として計画された。工期は2期に分けられ、第1期工事は1985年に終了、宝鋼は新日鉄の設備、技術と管理制度を輸入し、1000人以上のスタッフを新日鉄に派遣して、研修を受けさせた。新日鉄も技術関係のスタッフや専門家を中国に派遣して宝鋼の建設を指導した。

村田淑

 新日鉄住金上海事務所の村田淑所長は、2015年に上海に派遣された。40年前の歴史を直接経験してはいないが、新日鉄の一員として上海宝鋼との物語はよく知っている。

 村田淑によると、新日鉄住金は1972年の中日国交正常化に際して、両国政府から象徴的な第一次友好事業として、武漢の1700mm熱延ラインの近代化改造と、併せて電磁鋼板ラインの設備供給、操業指導、研修受け入れの協力要請を受けたとのことだ。

また、現地上海との関係では、1977年11月の李先念副総理から要請があり、また1978年10月に、鄧小平氏が君津製鉄所を視察した時、「これと同じ製鉄所を作って欲しい」との要請を受け、当時の稲山会長が協力を約束したことから始まった。

1985年9月の第一高炉の火入れ  

 「この宝山プロジェクトは途中中断の危機にあいながらも、日本政府のODA供与などの協力を得て、1985年9月の第一高炉の火入れと、その後の各工程の設備が一斉に立ち上がり、翌1986年にはすべての操業指標が目標を達成することができました。」と村田淑は話した。

 新日鉄と中国鉄鋼業との関係は途絶えることなく続き、2005年には中長期に成長が見込める高級自動車用鋼板のJV事業であるBNA(宝鋼新日鉄自動車鋼板有限公司)を開業。2010年にはハイエンドブリキ分野の需要捕捉を狙い、武漢鋼鉄とともに武鋼新日鉄ブリキ有限公司(WINSteel)を設立した。

 そして、昨年11月4日、宝武·新日鐵住金友好合作40周年の節目を迎えたのだ。村田は、「このように我が社は、改革開放以降の中国鉄鋼業の成長·進歩とともに歩んできた、と感じています。この40年の友好協力関係が将来も続いていくことを願っています。」と語った。

宝武·新日鐵住金友好合作40周年

 中国の技術進歩とバランスの取れた発展に驚く

 村田は2015年4月に上海に来る前は、日本の広島で新日鉄住金中国支店長を担当していた。日本の「中国」は本州の西側にある。「私は中国から中国へ異動しました。」と村田は笑った。

 上海に住んでからのこの3年で彼が感じたことは、中国のスピードだ。例えば、上海市内の花火·爆竹の禁止、車のクラクションの禁止など、ある日やると決めたら必ず実行し達成させる。「仕事に関係することで言えば、鉄鋼能力削減の取り組みも目標を確実に達成しています。民間で言えば、シェアサイクルの普及のスピードにも驚きました。この実行に至るスピード感は日本とは比べものにならない程で、非常に印象深く感じています。」と話す。

 「鉄鋼業界という視点から見て、中国の改革開放によってもたらされた変化は、技術の飛躍的な進歩ではないかと思います。産業の基礎素材である鉄鋼も、中国は10年前までは多くを輸入に依存せざるを得ませんでしたが、今や、そのほとんどを自国で生産できるようになりました。」

 この過程で、中国は新鋭設備や技術をたくさん導入しました。自国製の設備もありますが、欧米の設備メーカーのものもあります。改革開放による海外の技術導入が無ければこのような設備導入も無く、いまだ一部の鋼材は輸入に頼らざるを得なかったでしょう。」

新日鉄に研修を受けた中国人スタッフ

 彼の見るところ、数年前までの中国の発展は著しいものがあり、一言でいえば「成長」期にあったが、ここ数年は「安定的な成長」に移行しようとしている。いわゆる新常態に向けて「成長とバランス(均衡)」という状態になっている。

 また村田は、中国はすでに超大国になっているが、まだ内在する課題は多い、と感じている。例えば都市と地方、収入格差、金融問題、不動産価格、環境問題などだ。ただし、中央政府はその課題を正面から捉え、克服していこうとしている。その過程でいろいろな視点からバランスを取りながら全体が最適となる解を見つけ、政策を発動し、中国という国や経済を誘導している。決して成長を妨げることがないようにバランスを取りながら、新常態にソフトランディングして行こうとしている。

 取材の最後に村田は、「中国の政策や行動、民間企業の活動は、今や自国の利益だけでは図れない程の影響力を持つに至りました。世界のリーダーたる自覚と自信をもって、世界の発展のために活躍することを期待しています。」と語った。

(作者:范易成)