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【改革開放40周年40人】博覧会国際事務局次長:ディミトリ

2018年 7月 18日9:29 提供:東方ネット 編集者:王笑陽

 前書き:「改革開放」とは中国で1978年から開始された経済政策である。2018年は改革開放政策実施開始40周年にあたる。そこで東方ネットでは「改革開放40周年40人」と題したシリーズ報道を行う。シリーズ報道は経済、貿易、文化、教育、民間交流、科学革新などの各分野において中国改革開放の足跡を目撃した代表的な外国人40人を取材する。彼らの物語を通じて大きな時代の流れを描き出し、中国と上海が歩んできた40年間の発展と智慧を垣間見ようとする。


 2010上海万博が行われてからすでに8年が経ったが、現在も上海浦東区の世博会博物館には万国旗がいまでも空高くはためいている。人々はまだ「万博」を忘れていないようだ。

世博会博物館撮影:項欣栄

 今年の5月11日、カザフスタン、ロシアなど、これまで万博を開催した国および2025万博主催国の日本からの代表が、上海世博会博物館で行われた「歴代万博蔵品展」の開幕式および万博写真集叢書の発行式に出席した。ディミトリ·ケルケンツェス博覧会国際事務局(BIE)次長は、「今回のイベントは上海世博会博物館が新たな段階に入ったことを示していると考えています。われわれは上海世博会博物館が世界の文化的ランドマークとなり、これからの万博のよい手本となることを注視しています」と挨拶を述べた。

上海世博会博物館の「歴代万博蔵品展」開幕式で挨拶するディミトリ

 ディミトリは2010上海万博開催期間中、博覧会国際事務局の代表として上海で7ヶ月間を過ごした。中国の友達に「小迪(シャオディ)」と呼ばれ、親しまれていたそうだ。彼は世博会博物館で東方ネットの取材に応じた。

 8年前の上海万博について、ディミトリは「盛大な万博を通じて、開放的な中国の姿が世界に伝えられた」と評価した。

 「会期中の6ヶ月間に、190の国の人たちが上海に集いました。だが彼らはここで6ヶ月間をただ過ごしたというわけではありません。開幕の1年ほど前に彼らは上海に来て、展示館を建て始めたんです。つまり、ほぼ2年間上海に住んでいたということです。上海はこれをきっかけとして世界の人たちに中国の真の姿を示しました。一方、参加国の人たちも上海で温かく歓迎され、中国の人々の熱意を感じました。これこそが2010上海万博を成功に導いた要因だと思います。」

東方ネットの取材を受けるディミトリ

 ディミトリにとって、上海万博は印象的だった。上海万博の参加国も参加人数も万博史上最多になり、そして約160年の万博歴史において、発展途上国における初めての開催とされている。

 そして5月1日の開幕から10月31日の閉幕までの6ヶ月間、博覧会が順調に進むように毎日献身的に努力する主催者たちの姿にディミトリは感動した。「主催側のみなさんは開催中の毎日、様々な問題にぶつかったのです。この世には『完璧』はないと思いますが、彼らはどんな小さな問題であっても一生懸命頑張っていました。非常に感動しました」

 上海万博が中国と世界に残したのは、感動だけではない。ディミトリによると、上海万博には2つの「遺産」がある。一つは世界都市デー(10月31日、World Cities Day)で、もう一つには前の開催地·上海に設けられた世博会博物館である。世界都市デーは国連に認められたもので、世界の持続可能な都市開発を呼びかけ、上海万博のテーマ「より良い都市、より良い生活」をうたっている。一方、世博会博物館は博覧会国際事務局と長期的な協力関係を持ち、文化交流や教育などの領域に良好なプラットフォームを提供している。

世博会博物館撮影:項欣栄

 改革開放政策のおかげで上海は世界に向けて門を開いた。万博のおかげで上海は「対外開放」の段階から「世界と協力」という新たな段階に入った。これからも上海は世界により多くの貢献をしていくだろう。


(記者:呉琼/編集:W)