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除夜の鐘と『楓橋夜泊』

2018年 2月 26日9:24 提供:東方ネット 編集者:王笑陽

 日本には12月31日の大晦日の深夜に、寺院の鐘を108回つく「除夜の鐘」という年中行事がある。その習わしは中国の宋から伝わったとされ、現在の中国にもこの風習が残っており、蘇州の寒山寺をはじめ、各地の寺院では年末年始に梵鐘をつくことが行われる。この中日共通の習わしの背後には、両国の文化交流の歴史がある。

 寒山拾得の伝説

 唐代の詩僧である寒山と拾得は、中国ではそれほど有名ではないが、日本では広く知られている人物で、後世の文学·芸術の題材ともなっている。

  元·伝顔輝筆「寒山拾得図」、東京国立博物館蔵

 寒山と拾得は生没年が不詳だが、二人とも浙江省にある天台山の国清寺にいたとされる伝説的な風狂の僧である。拾得は国清寺の豊干禅師に拾い養われたので、「拾得」と称された。寒山は国清寺の近くにある寒山の洞窟に住んでいたのが名前の由来とされ、国清寺にしょっちゅう出かけては、食事係であった拾得から残飯をもらっていた縁で、拾得と仲良くなったと言われている。伝説によると、彼らはときに奇声や罵声を発し、ほかの寺僧に追いかけられると手を打ち鳴らして大笑いして立ち去ったというような、世俗を超越した奇行が多い。また二人はよく詩を作ったり、仏教の哲理を検討したりしていた。『寒山詩集』は、天台山の木石に書き散らした彼らの詩を集めたものである。

  『寒山詩集』

 唐の貞観年間に、寒山が蘇州にある楓橋鎮に草庵を結んだため、唐の禅僧で六祖慧能の弟子青原行思に師事した石頭希遷がここに伽藍を創建し、「寒山寺」と称した。

 一方、拾得は日本に渡って経を説いたという伝説がある。

  元·因陀羅筆「寒山拾得図」、東京国立博物館蔵

 後世、中日両国の禅僧や文人などが彼らの生き方に憧れて、画題として取り上げることが多くなった。例えば中国では元初の画家で、日本の絵師にも大きな影響を与えた顔輝や、ベン梁(開封)の大光教禅寺で大師号を授けられた高僧である因陀羅が「寒山拾得図」を描いている。そして日本では絵画の他にも、森鴎外の小説『寒山拾得』や、坪内逍遙作の長唄の舞踊劇『寒山拾得』などでも知られている。

 『楓橋夜泊』と寒山寺

 月落ち烏啼いて 霜天に満つ

 江楓漁火 愁眠に対す

 姑蘇城外 寒山寺

 夜半の鐘声 客船に到る

 中国の詩人·張継が、有名な『楓橋夜泊』を詠んだのは、8世紀中頃のことである。安史の乱(755年-763年)から逃れるため、張継は都を出て南方に向かった。当時姑蘇と呼ばれた蘇州市を通りかかった時、旅の船に寒山寺から鐘の音が聞こえたということを詩に書いた。

  『楓橋夜泊』の訓読(画像は関西吟詩文化協会の公式サイトから)

 この詩によって寒山寺の名が天下に知られるようになった。

 しかし、「夜半の鐘声」の一句は議論を起こした。宋の欧陽脩が「句は秀逸であるが、夜中は鐘を打つ時ではない」と評した。それに対して、范成大は『呉郡志』に、唐代に呉とう地域(江蘇省のうち揚子江以南一帯)の寺院で、夜半に「定夜鐘」を鳴らす風習があると指摘した。

  寒山寺

 また、寒山寺の鐘についても様々な話が伝わっている。明代の末頃に鐘が失われ、倭寇に盗まれて日本に持ち去られたという話がある。それを信じた日本の山田寒山という僧は、日本各地を訪ねて鐘を探したが見つからず、伊藤博文とともに発起人となり、寄付を集めて梵鐘を鋳造することにした。唐代の鐘を原型としたその鐘は1914年に寒山寺に寄贈され、現在寒山寺の大雄殿に納められているという。

  楓橋

 これらの話が正しいかどうかはさておいて、張継の『楓橋夜泊』が日本人に古くから鑑賞され、それによって寒山寺も日本で名高くなったことは間違いない。

 除夜の鐘

 大晦日の深夜に寺院で除夜の鐘を108回鳴らすという風習は、中国の宋代から始まったものである。もともと中国の寺院では毎月の末日の夜に鐘をついていたが、宋代になって大晦日だけつくようになった。そして中国の元代、日本の鎌倉時代の末に、中国の禅僧が日本に渡って日本の禅宗寺院で大晦日に除夜の鐘をつくようになった。

 なぜ鐘を108回つくのかについては複数の説があり、中でも最も有名なのは「煩悩説」だ。仏教では人間が前世·今世·来世に渡って持っている煩悩は百八つあるとされている。その百八つの煩悩を払うために、108回鐘をつくというわけだ。

 面白いことに、現在毎年寒山寺で行われている除夜の鐘の行事は、1979年に池田市日中友好協会名誉会長で蘇州市名誉市民である藤尾昭氏が発起した「寒山寺新年聴鐘声活動」として始まったものだ。毎年の除夜には、寒山寺と『楓橋夜泊』をよく知る日本人が、毎年大勢訪れている。

  除夜の鐘をつく人々

(実習編集:王笑陽)