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西岸の「朗読会」で文学の心を蘇らせる

2017年 4月 14日15:36 提供:新華網日本語

龍華団員の若者たちが「朗読亭」の前で記念写真写真:馮聯清

3月24日から3月30日まで、中央テレビ局の人気番組「朗読者」の舞台となる「朗読亭」が、上海西岸にある在龍美術館(西岸館)の臨江広場に移り、7日間の朗読の盛会が始まったのだ。現在、すでに510名の朗読者が大会に参加した。

3月24日午前7時過ぎ、上海市民文化祭中国語文字大会の優勝者である王麗娜さんが朗読亭を訪れた。「江南読書客」というハードルネームをつけた彼女は、古典文学の愛好者だ。王氏は小さいとき、上海の学校で勉強していた。実家の諸暨から上海へ行くには、列車で6、7時間かかったが、時間つぶしのため、父親とよくジャンケンをやっていたが、負けたほうは漢詩を一首詠むことになっていた。王さんは負けては新しい漢詩を詠んで、それがなんと1時間も続き、座り合わせた乗客を大いにびっくりさせたのが、王さんの忘れがたい美しい思い出となった。今、娘さんが生まれてちょうど言葉を覚えるところだが、王さんは自然に詩歌で啓蒙しようとしたのだ。この度、朗読亭に来た王さんは、当時の啓蒙詩「春暁」と自分で創作した詞「画堂春読書三昧」を朗読した。そして、娘さんが甲高い声で「夜来風雨の声」と詠んだとき、詩歌に親しむ心が、この読書家庭にもう一度芽生えるのだった。

50年代生まれで、雲南省の農村から戻ってきた陸さんが再び朗読亭を訪れた。3月4日、朗読亭の舞台が上海図書館に移った時に、陸さんはすでに6時間も行列に並んで、現代詩「瞳」を詠んだ。

「幼い時、母の瞳を見るのが好きだった。そこに子供の顔が映っていて、それが自分だった。若いとき、恋人の瞳を見るのが好きだった。そこに青年の顔が映っていて、それが自分だった。母の瞳に映った子供はよく間抜けのように笑っていた。恋人の瞳に映った青年もよく間抜けのように笑っていた・・・」。濱江の会場で陸さんは過ぎていく時間を嘆き、家族への思いを込めて、もう一度この詩を聞かせてくれた。定年前、統計の仕事をしていて、今は上海老年大学の朗誦クラスに通っている陸さんは詩を詠んで感無量だった。若いときは忙しく、読書どころではなかった。いま、「朗読者」という番組のおかげで、まるであの青春時代に立ち戻ったように、文学を愛する心が再びよみがえったのだ。

今年の3月から、「朗読者」はスタジオを離れて、「朗読亭」の形で上海のあちこちに舞台を回した。心底に潜んだ人文精神への追求が朗読によってふたたび呼び覚まされた。心を動かす文字、心のこもった朗読の声によって、式典めいた文学的な体験を得た。上海市民文化祭徐匯区キャンペーンシリーズは、徐匯区と「朗読者」番組との提携によるこの朗読会を皮切りに、盛大に開催された。

記者は朗読会の現場で、視覚障碍者で星光書者読書会の呉敏さんに会った。このけなげな女の子は筆が立っていて、中央人民放送局の作文コンクールで全国三位に入賞したことがある。現在、ある技術会社に勤めている彼女はもう自力で生活できるようになっている。午前9時すぎ、徐匯区視覚障碍者協会の朱文清主席の同伴で、呉さんは朗読亭の舞台に上がり、自分の作品である「私のアンネ先生」という文章を朗読し、これまでお世話になった人々への感謝の意を表した。

「朗読亭」の舞台となった濱江の近くの学校で勉強している生徒もイベントに参加した。イベント当日の午後、南洋中学、龍苑中学、龍華中学の文学愛好者の生徒も朗読した。「ここで朗読した体験は学校での朗読とは全然違う」と引率の周暁娟先生が言った。学校では毎年読書祭が行われるが、今年のテーマは「腹に詩書有れば気自から華なり」だった。上の三校の生徒に続き、今後、濱江エリアにある他の学校の生徒もこのイベントに出るという。

小さな朗読亭で朗読するのはどんな感じだろうか。記者も現場で体験した。三分以内の原稿を用意し、そしてなぜ詠むのか、誰に聞かせるのか、という目的があれば、朗読を発表することができる。係りの人がマイクの位置を調整し、ドアを閉めた後、朗読亭はあなたのスタジオとなり、そこで自分の朗読に陶酔することができる。防音効果がすばらしく、室内はとても静かだった。

「室内と室外は別天地だった」と二度体験した陸さんは感想を述べた。