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「上海通」古林恒雄氏と楊浦区との縁

2017年 3月 27日17:00 提供:東方ネット 編集者:範易成

見學中、友人と話し合う古林氏

<はじめに>

 2017年から上海市人民政府外事弁公室では、上海と世界各地との協力·交流を促進するために、各区県の政府機関と協力して紹介活動を行うこととなった。その初めてとなる会合が3月22日、楊浦区にある上海国際ファッションセンターで開催された。領事館、国際商会、金融機構、多国籍企業などから代表約300人が集まり、新しいランドマークの「楊浦浜江」を見学した後、楊浦区の発展と革新について活発に話し合いが行われた。  

  この紹介会に招かれたのは、外国人として長期に渡って上海に貢献し続け、受賞歴もある古林恒雄氏であった。氏が初めて上海を訪問したのは今から約40年以上も前、その後一貫して上海のビジネス界に大きく貢献してきた。中国語を流ちょうに話し、人々からは「上海通」と慕われている。

「楊浦浜江」を見學する古林氏

当日、雨が降った

<楊浦区との縁は合弁企業の設立>

  古林氏は1978年にカネボウの技術紹介のために中国を訪れた。そして上海金山石油化工総厰の20万トンポリエステルプラント建設の日本側総代表として、中国初の本格的合繊プラントの設計·建設·運転を指揮した。このプロジェクトは「中国国家金質賞」を受賞するなど大成功を収めた後、1984年に中国側に引き渡された。

  金山のプロジェクトが終わった後、古林氏は1987年からカネボウの中国合弁事業の展開に係ることとなったが、この時から楊浦区との縁が始まった。 氏は当時を思い出してこう語る。「上海第十九棉紡織厰の前身は、1919年に鐘淵紡績株式会社(後のカネボウ)が楊浦区に設立した公大第一織厰だった。その頃、わが社の伊藤会長の父上はこの織厰の幹部だったので、伊藤会長は子供の時分は楊浦区に住んでいた。また、当時私の通訳を務めていた中国側スタッフの母上が第十九綿の幹部だったこともあり、両方のご縁でカネボウと十九棉とのお付き合いが始まった。」

 古林氏の尽力で1987年、カネボウ(株)は上海第十九棉紡織厰との合弁企業「上海華鐘ストッキング有限会社」を設立したが、これは上海初の中日合弁紡績企業だった。当時、華鐘ストッキングが生産したストッキングは上海市民に大変な人気となり、デパートに買いに来る人が連日長い行列を作ったという。

 古林氏はこの上海華鐘ストッキング有限会社を皮切りに、上海で20数社の中国華鐘グループ現地企業を設立したが、そのうちのほとんどは楊浦区に設立された。