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歴史変遷

2015年 8月 30日14:18

歴史変遷

 「申」「滬」の由来

 上海は、略称「滬」、別称「申」である。約6千年前に、現在の上海西部はすでに陸地となり、東部地区が陸となったのも2千年の歴史がある。春秋戦国時代、上海はかつて楚国春申君·黄歇殿の封邑を受け、これで「申」が別称になった。西暦4·5世紀の晋朝、松江(現在は蘇州河と呼ぶ)と濱海辺りの住民の多くは漁師で、竹編みの魚捕りの道具「扈」を創造し、また、現在の川が海に流れ込むところを「涜」と言い、これで、松江下流の辺りを「扈涜」とも言い、その後、「扈」が「滬」に変更された。


 上海の建城

 西暦751年(唐天宝10年)、上海地区は華亭県に所属(今の松江区)し、範囲は、北が現在の虹口辺りまで、南は海辺まで、東は下沙まで。西暦991年(宋淳化2年)、松江上流が絶えず座礁が起きたため、海岸線が東へ移つり、大きな船にとっては航行が不便で、外来の船舶は松江の支流「上海浦」(現在バンドの東から十六鋪近くの黄浦江)に停泊しなければならなかった。西暦1267年(南宋咸淳3年)、上海浦西岸に市鎮を設置し、上海鎮に命名した。西暦1292年(元至元年29年)、元朝中央政府は上海鎮を化亭県から除き、上海に上海県を設置し、これが上海の建城の始まりとされる。現代上海は16世紀(明代中葉)に、全国の綿織物手工業の中心となった。西暦1685年(清康煕24年)、清政府は上海に税関を設置した。19世紀半ば、上海は商人が集まる賑やかな港となった。アヘン戦争以降、上海は植民地主義者によって、「通商」岸として開かれ、その後百年の間、外国はそれぞれ上海を侵入し、上海は帝国主義の中国政治·経済·文化侵略の主要拠点となった。1949年5月27日、この光栄ある革命的伝統を持つ都市は解放され、新しく生まれ変わった。


 歴史的変革

 上海の解放は、上海の発展の新たな1㌻を開いた。中国共産党の指導で、上海人は50年以上の奮闘を経て、根本的に半植民地·半封建の条件での不均衡発展の上海を改造し、上海の経済と風貌を深く変貌させた。特に、1978年以来、上海の改革開放はだんだんと深化し、上海人民は強い向上精神·解放思想·時代と共に進歩する精神によって、大胆に実践し、中国の特色のある、時代を体現する特性は、上海の特大型都市発展の新しい道に合致し、上海経済と社会発展の各領域で、歴史的な大変革を生み出し、我が国最大の経済の中心と国家歴史文化の都市となり、かつ国際経済·金融·貿易と航運中心を建設するというに目標に向け邁進している。