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安倍政府が再三、騒ぎ立てるのは何故か

2015年 9月 24日10:26 提供:新華網日本語

  

  人民日報海外版によると、9月3日、国連の潘基文事務総長は中国人民抗日戦争並びに世界反ファシズム戦争勝利70周年を記念する関連行事に出席した。すべては情理を尽くした取り計らいと言える。

  しかし、記念行事の終了から一週間に経っても、日本の安倍首相はまだ気にしている。9月11日、参議院平和安全法制特別委員会で、安倍首相は「自ら」不満を露にし、潘基文事務総長が中国を訪れ、行事に参加したことに対し、「深く遺憾の意を表わし」、「国連は今後、いかなる特定の立場にも偏重すべきではないと継続的に呼びかける。」と強調した。

  日本が潘基文事務総長の中国の「9·3」記念行事への出席を批判したことは少なくとも今回で5回目で、その姿勢は決まって極めて筋が通らないものだ。

  

  安倍首相と日本政府が国連事務総長に繰り返し不当につきまとう理由はどこにあるのだろうか。安倍首相自身の発言を引用すると、「国連事務総長は、加盟国が未来に向けて積極的な姿勢を取るように勧告すべきで、特定の歴史に焦点をあてるために無駄な行動をすべきではない。」安倍首相が語る「特定の歴史」は、実質的に日本軍国主義が発動した侵略戦争を指す。この発言は、潘基文事務総長を含む日本に侵略の歴史を直視するように求めるすべての有識者に対し、「未来と積極的に向き合うことができない」というレッテルを貼ることで、彼らが歴史問題において沈黙し続けるように強要し、この時代の歴史が再び「焦点」にならないようすることを意図していることは疑いない。安倍首相の皮算用は、日本の侵略の歴史が「無視」される限り、いわゆる「侵略定義未定説」を伝播し、旧日本軍の慰安婦強制連行、平民への大規模な殺戮などの暴行を隠蔽する機会を得る。

  歴史を直視してはじめて未来と向き合うことができるというのは、世界各国の共通認識になっている。安倍首相が、歴史と現実と未来を切り離すならば、本国国民の信頼を得ることができないだけでなく、国際社会の信頼を得ることも不可能で、徒労に終わると運命にあることを知るべきだ。

  (作者は中国国際問題研究院、国際戦略研究所副所長 蘇暁暉)

  (新華網日本語)