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第七回 学ぶべき日本人の「プロ精神」
2003年 7月 4日10:23 / 提供:

 私は日本語版の「水こ(三水辺に許)伝」を一冊持っている。集英社2000年10月30日第一刷発行で、北方謙三の著作である。正直に言うと、いままで、一度も読んだことがなかった。なぜなら、「水こ伝」の内容はもう詳しすぎるほど知っているし、北方さんの筆が特に立つとも思っていなかったから。だが、私はその本を大切にしている。なぜなら、その本を見るたびに、私は日本人の学問上の「プロ精神」をしみじみ感じさせられるからだ。本の前書きにつぐのは、当時、つまり、本に登場する人物が活躍する宋朝当時の関係地図である。私は幾つかの出版社が出した中国語版の「水こ伝」を読んだことがあるが、いずれも地図はついていない。想像というものを頼りにしながら、理解するほかない。

 どうして日本人は中国名作を中国人より詳しく作っているのか?それは日本人は中国人より強い「プロ精神」を持っているからだと私は思う。私の理解では、「プロ精神」とは、自分の従事している仕事、また、自分の当たっていることに専念して、心をこめて、全力をあげて最善になるように成し遂げる精神である。

 大学時代の日本人先生の授業をいまでもはっきり覚えている。それも先生の授業に対する「プロ精神」が彫刻刀のように私の頭の中に深く刻まれているからである。先生はいつも関係資料、絵、音楽、身振りなどの手段を利用して、文章を解説してくださり、中国人先生の授業のやり方より、ずっと面白くて、効果があった。先生だけでなく、いままで付き合ったことのある日本人留学生、日本人会社員、日本人俳優、ひいては、日本人家庭主婦、彼らの仕事、または、生活に対するまじめな態度にも感心した。

 これに対して、われわれ中国人は、どちらかといえば、「プロ精神」が欠けていると思う。私は国内のサッカー試合はあまり見ない。それは、多くのサッカー選手には「プロ精神」がないと私は思っているからだ。サッカー選手として、なかなかサッカーを自分の事業としてやることができない。サッカー選手だけでなく、今の中国では、自分の第一職業をおろそかにする人は少なくはない。いつも議論になることであるが、どうして中国人は今迄ノーベル賞を一度も受賞したことがないのか、どうして技術面では、中国人はなかなか独創的なものを持ち出すことができないのか。これから、「プロ精神」をもっと重視していけば、これらの現状も改善できるかもしれない。

                                ( 肖克毅 )