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第十二回 日本での思い出
2004年 3月 22日15:58 / 提供:

  日本に渡ったのはもう十年あまり前のことだ。当時は留学のため日本で五年間を過ごした。今数えると、帰国は何年も前の事だったにも関わらず、今でもあの時期のことを思い返すと、いろんなことがはっきり頭に浮かんでくる。

 日本にいる時は悲しい事、面白い事などいろんな事があった。中でも、一番忘れられない事はやはり阪神大震災だ。まあ、ひどい目に会って、びっくりした。ただ面白い事もありましたが。

 あの日の朝未明、私はテレビを見ていたところ、アパートの部屋が突然揺れ始めた。最初は本棚が倒れ、次はテレビも倒れ、あとは電気も消えてしまった。「ええ?何が起こったの!」、地震発生の最初十秒間ぐらいは頭が真白になって、後にやっと気が付いた。「ああ、しまった!地震だ、逃げよう!」と思った。ところが、「逃げよう」と考えても、実際には逃げられず、地震のせいで立つことさえできなかった。上海生まれの私は地震に対する経験が全然なかったので、ただ布団を頭上に掛けただけだった。四十数秒経つと、やっと地震が止まったようだ。その四十数秒と言うのは、その後新聞で知ったものだ。地震当時はさっぱり分からなくて、まるで一生のように時間が長く感じた。

 その翌日、私がバイト先に行くと店長に声をかけられた。店長は小さい声で私の耳元で「陳君、着付いたかい?」と、ささやいた。「えっ、何にですか?」と聞くと、「普段は鼠があちこち走っているのに、今日は1匹も見えへん。地震がまだ起こりそうやな。俺達やばいなあ!」。店長の真剣な顔を見て、私は頭でいろいろと考えた。「ああ、店長の言う通りじゃないか。鼠は敏感な動物で、一番早く災害を感じる。私のバイト先は地下2階だから、大きな地震が来たら、生きられる訳がないじゃないか。」と思った私は緊張しながら仕事をしていた。夜の11時になり、やっとバイトが終わって、外へ出ると、「ああ、まだ新鮮な空気が吸えるなんて、素晴らしいなあ。」と思いながら、私は夜の静かなきれいな道へ踏み出した。

 今もこの事を思い出すが、あの時店長の話はただの冗談だったかも知れない。あの事は人生の中ではまだ小さい事かも知れない。でも私にとっては一つの大きな思い出で、それは当時まだ青臭い私に一つの理を教えてくれた。この理はいままで私を支えてきた。人生は生きているだけ素晴らしいことだ。                    

                                   陳鳴