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第十五回 松山に住んでみた(二)
2004年 6月 22日18:13 / 提供:

                                        趙星海

 私が松山に来て、最初住んでいた所は萱町と言って、けっこう賑やかな商店街だった。車二台がやっと通れる狭い通りの両側にいろんな店がずらりと並んでいた。ラーメン屋、魚屋、八百屋、本屋、家具屋、自転車屋、写真屋、お茶屋、私が住んでいたアパートの一階はお好み焼屋で、向かい側は小さいスーパー、とにかく普通の生活に必要な物でこの通りに無い物はない。

  私は自炊していたので、いちばんよく訪れたのは八百屋だった。ここの野菜や果物は中国みたいに秤にかけるのではなく鉢に入れて一鉢いくらで売っていた。中国で野菜や果物などを買う時は秤竿をじっと見る人が多い。秤が悪いのではないかと。実際に秤をごまかす商人も多い。そう比べてみると、やはり日本のような売り方がいいと思う。  

松

       

初めて体験した日本の家庭料理

 ある日、松山の友人の家へ食事に招かれた。

 中国人と違って、日本人は友人やお客を自分の家に呼んで食事をすることはあまりない、ということは前から聞いていた。中国人は友人やお客を自分の家に呼んで食事をすることはごく普通のことである。私も中国にいた時はよく友達を家に呼んで食事をした。でも、私は、他の家に食事に呼ばれるのはあまり望まなかった。あまりにも親切すぎるからだ。私はそういう親切を何度も何度も経験した。

 中国人は普段は別として、お客を招待する時は必ずと言っていいほど、たくさんのおかずをつくる。それでも、“何にもないですが、たくさん食べてください”としきりに言うのである。それまではいいが、問題は、相手の口に合うかどうかも全然考えずに、それぞれのおかずを相手の皿に取ってくれるのだ。こんなに親切にしてもらっているのに残すわけにはいかない。自分の前に食べたいおかずが置いてあっても、それをちらっと見るだけで、取るわけにもいかない。まず取ってくれたおかずを何とかして食べてしまわなければならないからだ。

 そういうこともあって、友人の家に食事に誘われた時、ほんとうは行きたくなかった。でも松山に来てまだあの友人とは会っていないし、中国から持ってきたお土産も渡さなければならなかったので行くことにした。

 夕方、友人の家についた時は、奥さんは食事の支度をしていた。あの夫婦も私が北京で添乗員をした時に案内したお客様である。

 ご主人といろいろ話しているうちに食事の支度ができた。私は日本人の家で食事に招待されるのは始めでだったので、どんなものが出るのかと楽しみにしていた。

 最初は漬物が食卓に並べられた。それから焼き魚と天ぷらが出された。それ以外にまだ何か出たと思うが、はっきり覚えていない。

 日本料理は目を楽しませる。後で中国人に日本料理を紹介する時、私はよくこう言っている。その時、食卓に並べたおかずも漬物もみなきれいに見えた。漬物でも、黄色の大根、緑のきゅうり、そして何だか覚えていないが、紫の物。天ぷらも頭としっぽが赤く見える海老に緑のピーマン。実によく調和されている。

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 私は酒は全然だめで、ビールもあまり飲まない方だが、友人とは久しぶりに会ったし、ビールをいっぱい飲むことにした。三人で、中国旅行をした時のことを話しながら、食事を始めた。奥さんが“この天ぷらは私が作ったのです。味わってみてください。”というから、まず天ぷらを取った。私の口にも合い、美味しかった。それから漬物を食べてみたが、なんだか異様な味がして全然だめだった。“お口に合いますか”と奥さんが聞くから、“この天ぷらは美味しいです”と答えた。

 日本料理は中華料理と違ってそれぞれ一人前に分けて食べるから平等でいいと思うが、その量は本当に少ない。でもその時は、そうとは知らず、ビールをいっぱい飲んでいるうちに、私の皿は空っぽになったから、まだ何か出ると思ったが、その様子はまったくない。ご飯はまだ食べていないのに。幸い漬物がまだ残っていたので、なんとかご飯を全部食べることができた。

 食事を済ませてから、奥さんは果物とお茶を持ってきた。私たちはお茶を飲みながらまたいろいろ話をした。

  アパートに戻ったら、おなかがすいてきた。考えてみたら、腹八分目にもなっていない。何か買って食べようと思ったが、スーパーはもうしまっていた。それで、自動販売機でジュースを買って、部屋に戻ってテレビをつけた。チャンネルは中国より多かったが、中国と同じでいい番組はない。

 やはりおなかがすいているので、再び下におりてあいている店を捜した。しばらく歩いたらあいている売店があった。そこでカップヌードルを買ってきて、美味しく食べた。おなかがいっぱいなると、また夕食のことが思いだした。夕食のことで不愉快になったということは一切なかった。天ぷらを食べる時にもわかったが、奥さんは私のために、心をこめて食事を作ってくれたのだ。“この天ぷらは私が作ったのです。”という奥さんの言葉がまた思い浮かべた。その時に、私はほめ言葉も言わなかった。その時に少しでもほめてあげたらよかったのに、と心をこめて作ってくれた料理を食べながらほめることも知らなかった自分を責めるようになった。

 それにしても、おかずをもう少し多く作ったらいいのにと思うと思わず笑いが出た。

 中国を訪れる日本の観光客がいつも、中国の食事は量が多すぎる、と言ったのを思い出した。その時分は、日本人はお世辞が好きだから、それもお世辞で言っているのだとばかり思っていた。しかし、それは本当のことだった!中国の食事は量が本当に多い。ということをその時になって初めてわかった。