趙星海
日本人は中国人と同じようで違うのだ。ということを、私は松山に来てそれほど時間がたたないうちに思い知らされた。
中国にいた時、旅行社の同僚たちともよく日本人に対する印象などを話し合っていた。まとめてみると、日本人は親切で、礼儀正しい、それにお世辞がすき、この三点だ。この中で、皆が認めているのは、お世辞がすきという点だ。
ガイドがお客様を出向かえてから、自己紹介と歓迎の挨拶を述べるが、“みなさま、お疲れさまでした。”と言った途端すぐに、日本語がうまいですね、と言う人がいる。最初は、いいえ、まだまだです。としきりに弁解するガイドが多いが、だんだん重ねて聞いているうちに、日本人はほんとうにお世辞がすきだね、ひとことしか聞いてないのに、と思うようになる。
高校のクラスメートの中にも、ものすごくお世辞がすきな人がいた。
ある日、その彼がいつものように先生にお世辞を言っていた。私はすっかりいやになって、先生が行った後、 “お前は何でいつもお世辞ばかり言うのだ、このべらぼう目”とつい罵ってしまった。すると、彼は“人を罵るよりお世辞をいう方がましだ。”と言い返してきた。
いま考えてみれば、それもそうだ。でも、心にもないお世辞を常に言うのは、やはり反発を感じさせるものだ。
お世辞も、適当に、そしてうまく言えば、聞く人もいい気持ちになるだろう。
日本人はお世辞がうまい?
日本人はお世辞がうまいと言われている。ほんとうにそうだろうか、私は疑問に思う。
ある日、白石さんについて松山から約100キロ離れた宇和島へ遊びに行った。山道を約二時間ぐらい走って目的地に着いた時はすでに夕食の時間になっていた。
旅館に着くと白石さんは私のことをみんなに紹介した。白石さんの馴染みの旅館だった。
私があいさつすると、みんなが笑顔で迎えてくれた。と同時に、日本語がうまいですね、と女将さんらしい人がまず言う。中年の仲居さんも近寄ってきて、ほんとうに日本語がうまいですね、どうして日本語がそんなにうまいのですか、と、また、趙さんは男前ですね、と頻りに言うのだ。
あげくは、白石さんと趙さんはどっちが中国人かわからない、趙さんは日本人で白石さんが中国人でしょう。と、白石さんも、そう、わしが中国人だ。趙さんは日本人。と笑って答えた。
白石さんは服装をあまり構わない方で、その日もごく普通の身なりをしていた。私は洋服を着ていた。だから白石さんの方が中国人にみえたのだろう。中国人はみんな田舎くさい服を着て、馬車に乗っているのだと思っていたらしい。
でも、私は全然気にしなかった。悪い意味で言っていたのではないことを私は知っていた。お世辞はあまりうまくなかったけれど、ママさんも、お手伝いさんも、素直というか、感じのいい人だった。
その夜は食事が終わるまで賑やかに談笑していた。
松山に戻ってから、ある日、私は白石さんを家に招待しようと思って、電話をした。白石さんが着いた時にはもう食事の仕度ができていた。
その日、私はちょっと変わったおかずをつくったので、まずそれを白石さんに味わってもらいたく、これを味わってみてください、とすすめた。白石さんが箸を取るのを見て、私も箸をそのおかずに向わせながら、おいしいですかと聞いた。すると、“お、おいしいです。と言葉の調子がちょっとおかしかったので、みると、白石さんはおかずを口に入れるところだった。
その様子はとても滑稽で、危うくぷっと笑いだすところだった。そんなに急がずに、食べてから答えてもいいのにと。
あの時は、さすがの私も、おいしいと言ってほしかったので、つい急いで聞いてしまった。
こんな話を聞いたことがある。昔、中国のある所に、お世辞の大嫌いな先生がいた。生徒などにお世辞を言われると、先生はすぐいやな顔を見せてしまう。だから生徒たちは、先生の前であえてお世辞を言わなくなった。
しかし、お世辞が嫌いな人は絶対いないだろうと思う生徒がいた。その生徒はある日、先生にこう言った。かれらは、だれもみなお世辞が好きだろうと思って、いつも先生の前でお世辞を言っているのですよ。やはり先生のことをよくわかっていないですよ。私は先生のことをいちばんよく知っています。先生は他の人と違ってお世辞が一番嫌いでしょう“と。この話を聞いて、先生は会心の微笑を浮かべてうなずいた。
これはまさに適当で、うまいお世辞だ。こんなお世辞に反発を感じる人はいないだろう。