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第二十回 花と刀:日本の秘密と恥――華人の目から見た日本の文化(中)
2005年 4月 7日10:45 / 提供:

自分の安心と他の国家の安心

 「日本人は自分が安心感をもてればよくて・他人の心を安心させることがわからない。したがって、とても恐ろしい時代の病を生んだ、すなわち刹那的な暴力を崇める風潮である。日本は複雑な社会であると思う。公的に歴史、戦争の犯罪を反省することが多くないかもしれなく、しかし普通の民衆はやはりよく分かっている。日本は政治のことを反省することが多くないかもしれなく、しかし文化のことを反省することがとてもすごい。」傅益瑶女史は述べた。

 「私は多くの日本のインテリが日本の文化が仁義を失っていることを批判していることを知っている。西洋文化が日本に全面的に侵入して、深い伝統と歴史の蓄積がある日本の文化が瓦解させて、東方の広くて深い文化と思想を喪失しつつあり、ただ孫子兵法、老子、荘子しかない、東方文化の中での高めて、豊かで、調和な宇宙の意識と生命の意識は今日の日本ですべて喪失しつつある。」

 傅益瑶女史はこの変化の目撃証言者だ。1979年、彼女は日本に到着して、当時父君の傅抱石の母校の武蔵野美術大学の日本画学部で勉強して、画家塩出英雄の生徒になった。卒業後、傅益瑶女史は東京芸術大学の平山郁夫教授(日本画家、日中友好協会前会長)の研究室に入って、敦煌の壁画と日本画を研究して、その後職業画家の生活を始めた。

 「日本で見るものは全て西洋のもので、一面西洋のもので埋め尽くされていて。東京は日本ではない、東京はただ日本経済の消費地だ。」最初の10年で、日本の文化との疎外感がいっぱいで、「日本語を喋れない、日本画をかきたくない、日本の料理を食べることができない、日本人と付き合いもできない。」しかし、このような立場にいても、彼女も日本人が中国の文化を尊敬、敬慕する気持ちが感じることができた。彼女は元首相羽田孜など傅抱石を尊敬し、中国の美術を好む日本人と付き合って、大きいに助けてもらった。

 あの10年を振りかえって、傅益瑶は、日本の経済が急に発展して、至る所すべてお金で、東京と銀座の画廊の中で売れたのはすべて西方の絵で、中国のものはとても少なかった。しかし表面的な経済の繁栄の裏で落とし穴があった。日本は平和な心を失って、とても脆弱となり、安全感がなく、日本の安全を米国の保護に委ねた。しかし米国はとてもユダヤ的の国家であって、すなわち、米国の陰謀と企みだ。日本人は米国のこの文化がわからない。いつも米国の後で大声を上げている。日本人が強硬で挑発的であるのはが安全感がなく、日本人は安心できない、そして安心しないからだと感じている”