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第二十二回 「月は私の心を代表している」 ――中川陽氏一周忌
2005年 7月 29日11:20 / 提供:

 「・・・我的心不変、我的情不変、月亮代表我的心」――。

 かつて上海でマイクを握って、中国語でテレサ・テンさんの「月亮代表我的心」という歌を歌っていた63歳の中川陽氏が昨年7月27日肝臓ガンのため、日本で他界した。

 この1年、テレビやテープからテレサ・テンさんのこの歌が流れるたびに、思わず中川氏へ思い出が目の前に浮かんできた。

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 かつて上海の子供に数の数え方を教える中川氏

 中川氏は88年、中日新聞社(東京本社)の特派員として上海に赴任した。大学で専門に中国語を勉強したことのない同氏は毎日、報道の仕事に没頭すると同時に中国語を学び、できる限り習ったばかりの中国語で中国の人々との交流を楽しんだ。

 上海に滞在して一年足らずだったが、中川氏の中国語は上達しつつあり、中国人の友人の輪も広げていった。

 「中川さん、中国語は難しいですか?何か問題がありますか?」――ある日、中国の友人が中川氏に話をかけた。

 「没問題?没問題当中往往有問題!」――中川氏の口から、すぐこの言葉を飛び出した。

 「すごいですね!中国流の言葉を把握しているだけでなく、哲学的な意味も含まれています・・・」と、中国の友人らはその後、この言葉を語り継いでいった。

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 90年、アジア競技会(北京)の現場で取材する中川氏

 89年の初め、中国共産党上海市委員会の江沢民・書記(当時)にインタビューするという希望をかなえた中川氏は、上海の経済発展や青少年教育問題など多数の課題を取り上げて、江氏に提出した。同年、江氏が中国共産党中央委員会の総書記に抜擢された際に、東京新聞に載った中川氏の「江沢民氏の印象」は、香港などの海外メディアに転載された。

 90年、中川氏は北京に転勤してまもなく、在北京の日本人記者の共同取材で中川氏の江沢民総書記のそばに座っていた姿が中央テレビに映った。

 電話で中川氏に確認すると、笑いながら、「これから、あらゆる資料を集めて『江沢民伝記』を書こうと思います」と抱負を披露した。

 とても残念なことに、その後、中川氏は肝臓の機能が悪くなり、帰国した後も、何回も手術を受けて、闘病の生活を続けた。結局、『江沢民伝』も、とうとう夢で終わってしまった。

(章坤良 写真も)