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第二十三回 不透明な日本
2005年 10月 31日13:47 / 提供:

8月のある昼、長野県のある町で、猛烈な日光の下、現地の生徒たちは名音楽指揮者小沢征爾氏の指揮で、ブラスバンドの演奏をした。数千人の日本人が目を細めながら聞きほれていた。

 

たぶんしっかりと自分の子供の演奏を見ようと、父母達は露天の演奏会場に入る時、ちょっと込み合ったが、礼儀正しく、決して混乱はなかった。演奏を始めてから、小沢氏の指揮で、父母達は自発的に子供達と同じ歌を歌い始め、敬虔な表情で、整然とした歌唱はまるで事前に練習したことがあるかのようだった。記者はその中に身を置いて、近くにある古城を眺めながら、超現実的な気分になった。

 

演奏が終わってから、人々は立ち上がり、帰るつもりだったが、突然一人の撮影技師がはしごの上に立って、みんなにまたしゃがんで集合写真を撮ろうと呼びかけた。拡声器を使うことなく地声でそう叫ぶと、そこにいた老若男女は元の位置に戻り、姿勢を正し、微笑みながらシャッターが押されるのを待っていた。
 

この情景は記者を驚かせた。

 

ルース・ベネティクトは『菊と刀』の中で、すべての民族は1枚の生活を観察するレンズがあり、一つの民族の焦点距離と透視法は、その民族に1種の国民全体の人生観を獲得させ、このレンズを通して見る景色は、神が手配を整えたものだという。そのとき、記者は本当に焦点距離と透視法の切り換えによって、急に目眩を感じた。同時に、記者は“神”が日本にあげるレンズは、もしかすると特別製ではないかと思った。

 

この国には、頑固なまでに靖国神社に参拝する軍国主義分子もいるし、大江健三郎氏のような平和のため奮闘してみんなに尊敬される知識人もいる。表面からみれば、ここは金持ちと貧乏人の見分けがつかず、どこでもきれいで、人々が勤勉に働き、きわめて秩序と細かい点を重んじている。

 

出社時間の前、立派な服装を着た男は、地下鉄構内をブリーフケースを持ち、頭を下げて早足で歩いているが、またたく間に、繁華街のゲームセンターの喧騒の中で気ままに発散したり、あるいは街角で縮こまり、きちんとした服装の酔っぱらいになるかもしれない。明治神宮で、下駄をはいた作業員が落葉を掃除する時の速さは背後に他人に鞭打たれているようで、記者はきわめて活気がなくロボットの群れのように感じられた。そことさほど離れていない原宿で、服装を誇張した新人類は、またそうした感じを完全に一変させた。身なりがさっぱりとしている若い男も、エレベーターの中で、たくさん女性の前でポルノ雑誌を読むこともできる。そうした表面から見れば、荘重かつ単純で教養のある女性も、成人雑誌の読者かもしれない……。

 

聞くところによると、多くの人が日本に着いてから、いずれも戸惑いに陥るという。映画『ロスト・イン・トランスレーション』の中で、あの米国スターが、正装で自分の部屋に入ってくるなり、急に床で大いに騒ぎ立てる日本女性に直面して感じるような困惑である。

 

大江健三郎氏はノーベル文学賞受賞のスピーチの中で、現代の日本は国家の或いは個人の現状にかかわらず、すべて二重の性格を懐胎しているといった。「私は曖昧な日本にいる」という講演の中で、国家と国民を引き裂く「強大で鋭い曖昧さ」が、日本と日本人の間で多種の形式で表面化していると語った。大江氏の理解している、この曖昧の根源は、日本の現代化のやり方が、欧米にもアジアにも理解されない孤立的な立場に導いたという。

 

この大きく矛盾した国で、内在的な分裂は、よく人を一つの時空の中に圧縮することができないと感じさせる。日本で取材した時、記者はかつて2度も知らない日本人に全面的な協力を得た。一回は間違った乗車券を買った時、地下鉄の駅で広告を配っていた人が、記者を連れて乗車券を返しに行き、記者が新しい乗車券を買うのを手伝ってくれ、また改札口まで送り届けてくれたのである。もう一回は記者が道に迷った時、警察官に助けを求めたが、何も言わないで記者をとても遠い場所にある宿泊所の入り口まで連れてくれたのだった。

 

「どうして日本人はそんなに親切のか」。私は長年日本で働いている中国人の同業者に聞くと、自分も日本の友達に同じようなことを聞いたことがあり、相手の回答に驚いたと話してくれた。その友達は、実際、日本人はそのような事に本当に熱心に、あるいは心から望んであなたを手伝うとは限らないと言った。しかし、あなたがそうした相手を探し当てさえすれば、相手は自分のことと同じように思い、責任を持って、最後までやり遂げてくれ、たとえ相手がとても嫌悪感を持ったとしてもである。

 

この観点を実証することができるのは、日本の地下鉄の中で、ほとんど自発的に老人に座席を譲る人はいないことである。日本に留学している中国の女の子によると、巨大な重い箱を持って日本に来た時、だれも手伝ってくれないことを発見した。その時、知らなかったことは、実は口を開きさえすれば、最も冷ややかな日本人も、最も親切な最も責任を負う日本人になることができるのだということだった。

 

したがって、中国人と日本人が同様な行為の裏には、完全に異なっている論理的思考方式がある可能性である。

 

日本を初めて近距離で観察すると、いずれも私達は、きわめて落ち着かなくなる。記者の日本での強烈な感銘は、他の国に訪問するよりはるかに大きい。まず両国には、清算されていない歴史の恩讐があるかもしれなく、その他、同一の皮膚の色だが、内在の相違が巨大だということだ。日本国土に足を踏み入れると、すべての日本への認識のかけら、例えば鉄腕アトム、731部隊、ホンダの車、キヤノンのカメラ、山口百恵、靖国神社、中国民間の賠償請求者を手伝う日本の弁護士、寅次郎……などが、現実的な日本のさまざまな景観が、急速にこの狭い時空に畳まれて押し出されることを意味する。

 

この強烈な刺激は、完全に異なった認識を導くかもしれない。 

 

カメラマンに指揮された温和で善良な礼儀正しい老若男女たちと、ビルの窓の中で、徹夜で蜂のように働く勤勉なサラリーマンたちと、第二次世界大戦当時、少しの人間性もなく他国の民衆を殺戮した兵士たちと、今でも足しげく靖国神社を参拝する軍国主義分子たちは、意外にも一つの民族に属する。ルース・ベネティクトによる私たちへの啓示は、おそらく最もよい日本人を描く方式、つまり一つの形容詞を思うと同時に、字典の中で一つの対義語を探し出して補充することなのであろう。

 

記者が出会った先輩の中国人同業者は、カメラマンに指揮される民衆と人間性のない戦犯は、事実上、極めて強い論理的な連携があると考えられる。日本人はあまりに「おとなしく」て、集団の観念を強調し、等級制度を認め、情と義が何より重要で、戦争での殺人行為は、ただ上級の命令を実行しただけだから、気が深くとがめられことは少ない。特に秩序を守るため、兵士らの性格は長期に抑えつけられて、エネルギーが戦争の中で別の形で解き放たれる可能性があり、平和の時期、テレビゲームの中の暴力にふけることと同じなのである。 

 

ある日本の左翼知識人も日本人のこの点に対して懸念を表している。中国の伝統観念が「和而不同」で、日本人が持つのは「和??」で、もし大多数人があることに賛成するならば、反対者は自ら妥協を選ぶことになっていくことが多い。したがって、このようなことは日本の社会を、一層強く同質化させることになり、危険性をさらに生みやすい。

 

中国人が日本で最も苦痛なのは、日本人が誇示する近現代化過程の中の赫々たる奇跡が、大部分が中国の歴史の屈辱と関係があることである。たとえ、記者が桜で美しい上野公園に来た時、静かでめでたいことと感じたが、帰国して資料を見ると、日清戦争の後で、その場所は日本の狂喜の重要な場所であることを発見した。1895年の「ニューヨーク・タイムズ」はその時のシーンを、「いろいろな花で飾りをつけた車の上で、竹竿に紙と糊で作った、あるいはヤナギの枝で編んだ人の首を掛けて、斬首された清国人を表わし、揺らしながら運転して、人々の哄笑を誘っていた」と記録している。

 

 感情からすれば、日本は恐らく永遠に中国人に複雑な感情を生ませる国である。10日間の日本訪問が終わると、意外に新鮮ではないひと言が再び心の中でわき起こり、さらにより強烈になった。つまり、我々は向上すべきだ。

(編集:董晨悦)

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