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第二十四回 日本印象記
2006年 2月 27日9:40 / 提供:

作者:銭勤発

 私たちのような年を取った人間は、日本のことを話すと、感情的にはなんとなく解けないしこりがあるようだ。重苦しい歴史の恩讐は、歳月が流れるにつれても薄らいではこない。むろん、誰も過去の歴史を、今日の座標とは見なしたくないし、この一衣帯水の島国は、一層私たちの注目を引きつける。そして、私は川端康成、渡辺淳一、村上春樹の小説を読んだことがある。最近、また日本の新感覚派の有名な作家・横光利一が書いた『春は馬車に乗って』という小説を読み、その美しさ、やさしさ、そして物悲しさを感じた……そう、文学界、体育界、教育界、さらに企業界とも中日の民間交流の足並みは今まで中断したことはなかった。

 先日、上海教育代表団とともに日本を訪問して帰ってきた。心の中にある感情のしこりは六日間の駆け足の旅行では、やすやすと解けるわけがないが、日本で見聞したことは、他人に会うたびに思わず言いたくなることばかりで、感銘の深さは自分でも驚くほどである。確かに日本は美しい。大阪の空中庭園、神戸の明石海峡大橋、京都の嵐山、金閣寺、清水寺……さらに、一つ一つ人が気が付かないような細かいところに、美しさがあるのだ。疑う余地もなく、そのごく小さな細部の魅力が最も私の心を動かしたのである。

 私たちは大阪から神戸、神戸から京都、そして京都から大阪に戻るというコースで観光した。この間、三つのバスに乗り換えた。ドライバーはみな年上の日本人で、運転席のそばにスニーカーが置かれており、運転する時はそれを履き、下車してまた靴に履き替えるという習慣に気がついた。この他、添乗員から大型バスの運転手まで皆同じように背広を着ていたが、これは客を尊重するためという決まりの一つだ。日本人は時間の観念が強く、約束時間を決めたら、少なくとも二十分前から客を待つ。ドライバーは荷物を一つ一つバスの貨物室に運び込み、きちんと並べて置いた。ホテルに着いた後、また一つ一つ運び出し、まめまめしく貨物室の中を這って出入りした。ごく細かなサービスでも、日本人は熱心に、周到に、満足してもらうよう大切にしているのだ。

 ホテルの部屋に入るたびに、必ずテーブルの上に紙が置かれていた。この紙は部屋を掃除した従業員が残したものだ。紙には、いつ、誰が掃除したのか、そして、署名も書かれていた。もし客がサービスに満足しなかったなら、この紙によって、文句を言うことができる。客が入浴しようとした時、蛇口を開けると、水温はすでに調節されており心地よく、しかも、ノズルはすべて壁に向けられ、蛇口を開けるとシャワーが飛び出て来てびしょ濡れになるようなことは決してない。日本では、職業に貴賤はない。サービスの質は絶対に一流だと心から思った。

 京都の嵐山に到着した時、ホテルで、ちょうど客を見送っているウエートレス2人の姿を目をした。和服姿で、若々しくかつ明るくて、美しかった。微笑みながら、頭を下げてお辞儀をし、車の姿が遠く去るまでずっと見送り、途中で止めるようなことはなかった……日本では、人と人の相互尊重がいっそう強く感じられると思った。

 清水寺の観光で、寺の入口に集まった際、喫煙する人はみなポケットからタバコを取り出した。見学に同行した日本旅行協会の担当者もコ―トのポケットからタバコを取り出したが、同時に小さな缶も取り出した。タバコの灰をその缶で軽く弾き、最後に吸殻もその中で揉み消して、コ―トのポケットに戻した。この一幕は、喫煙する友達に話さなければならない。日本の大通りが、毎日モップで拭いたようにさわやかなのは、当たり前だと思った。

 こうした一つ一つの細かいことから、私たちの耳慣れた二つの文字があちこちで浮かんできた。調和である。人と社会の調和、人と人との調和である。訪日して帰って来た時に、再び横光利一の『春は馬車に乗って』を読んだ。病気の妻が、全快した後に井戸端で夫の服を洗うことを一時も忘れることはなかった……目頭が熱くなってきた。

    (編集:楊麗俐)